真理のみことば伝道協会

カルト宗教被害者の皆様の問題解決のお手伝いをさせて頂いております。

質問
人はなぜ、カルトに走ってしまうのでしょうか。

答え
カルト教団は、次のような巧みな言葉をもって、人々を誘います。
 「あなたは、一人で聖書を読んでも分からないでしょう。世の中に沢山の宗教があって、どれを信じたら良いか、判断が難しいんですよねー。また、今、悪がはびこっている世の中で、幸せな人生を見いだすことなど、ほとんど不可能だと思いませんか。しかし、私たちのグループには、神から特別 に選ばれた人(人々)がいます。彼(彼ら)は、神の代弁者(預言者、忠実なしもべ、神の用いる唯一の伝達の経路)として、聖書を正しく解釈できるし、生きていくための知恵を知っているし、世の中の様々な問題の解決策を持っています。ですから、彼(彼ら)から教えを受けて、従っていけば、間違いなく幸せになれます。救われます。自分で考えたり、悩んだりする必要はありません。神のしもべに従えば良いのです。」
 これは、自信のない若者や、子育てなどで悩む主婦や、挫折しているサラリーマンにとっては、非常に魅力的な言葉です。それはまず、第一に、その言葉によって、心の平安を得ることができるからです。世の中が複雑になり、洪水のように情報が氾濫している中で、多くの人々は不安を覚えています。何を信じたらよいか、分かりません。多くの現代人にとっては、自分で考えて判断し、自分の人生に対して自分で責任を持つということは、とても苦手なことなのです。ですから、権威をもって単純な説明や回答を示してくれる宗教団体には、彼らは非常に弱いのです。神の権威を主張して、「これが絶対に正しい」と宣言する宗教団体があれば、その言葉に飛び付くのです。自分で考える苦悩を省くこともできるし、安心感を覚えることもできるからです。
 次に、人々は、カルトの誘いの言葉に、生き甲斐を見いだします。カルト教団は例外なく、「世界の救い」、「地上天国」、「世の中の革命」等の大きな目標を掲げます。そこで、信者はその働きに参加することにより、充実感・達成感・生き甲斐を感じるのですが、彼らの「働き」は必ず、組織の利益や拡大に直接、結び付くものです。ですから、実際のところ、彼らは組織に利用されることになりますが、彼らには、そのような認識は一かけらもありません。彼らは「神のしもべ」、「神の組織」のための奉仕だと考え、苛酷な条件のもとでどんなに働かされても、犠牲を惜しまずに、喜んで仕事をする訳です。自尊心の低い人間は、自分よりも大きなものにすがりつくことによって、自分の存在価値を見付けたり、自信を得たりします。自分の足で立って、一人で生きる自信がありませんが、大きな組織の一員として認められるなら、そこで安心感を覚え、積極的に生きていく人間に生まれ変わるのです。
 第三番目に、人々は、カルトの誘いの言葉に、愛を感じます。大家族が核家族化していく時と、核家族が個家族化していく時、宗教ブームが起こると言われています。なぜなら、本来あるべき、家族の交わりがなくなるからです。近くに親戚 が住んでいないために、寂しさを覚える。同じ屋根の下に住んでいても、皆自分の部屋を持っていて、じっくり話し合いをする場がない。お父さんの帰りがいつも遅い。顔を合わせることがあっても、怒ってばかりいる。お母さんも、うるさい小言ばかりを言う。このような状況の中で育つ人間は、愛に対する飢え渇きを覚えます。親密な、生き生きとした共同体を求めるようになるのです。自分を認めてくれ、自分の悩み事をしみじみ聞いてくれ、愛情を注いでくれる共同体です。現代人のニーズを知り尽くしているカルト教団は、強力な伝道の武器として、「ラブ・シャワー」というマインド・コントロールのテクニックを用います。組織に対して関心を示す人に愛情を注ぐのです。何時間もかけて、相手の話を聞いてあげます。食事を作ったり、家の掃除を手伝ったりしてあげます。引っ越しをすることになれば、信者が十人単位 で手伝いに行きます。言うまでもなく、このような「ラブ・シャワー」を受ける者は、大きな感動を覚えます。と同時に、「これほど愛を実践している宗教団体は他にない」と確信するのですが、本人に分からないのは、この「ラブ・シャワー」には条件が付いているということです。その条件とは、組織に対する絶対的服従です。つまり、組織の教えをすべて受け入れ、素直に従っていけば、大事にされますが、組織に対して疑問を抱いたり、その教えに反発したりすると、その「ラブ・シャワー」はぴたっと止まってしまうのです。そこで、「不従順な人」は悩むことになり、重大な決断を迫られることになります。自分の良心を守って真理や真実を徹底的に追求するか、自分の思いを圧し殺して組織に盲従するかです。残念ながら、愛された経験の乏しい現代人は、仲間として認められ、「ラブ・シャワー」を受け続けるために、組織につき従う道を選ぶことが多いのです。