真理のみことば伝道協会

カルト宗教被害者の皆様の問題解決のお手伝いをさせて頂いております。

質問
僕は5年半、ある宗教団体に属していましたが、途中で『何か、おかしい』と感じて、実家に帰りました。教団にいる間、献身者として奉仕をしていました。リーダーの指導の下で、厳しい訓練を受けて、『従順』を徹底的に学ばせられました。先生の指示どおりに、朝から晩まで働いて、それなりに充実した毎日でしたが、先生に相談してからでないと何も決められない自分がいるということに気付いて、段々と疑問を持つようになりました。一種の怖さも感じました。そこで、実家に帰って、普通 の生活に戻ろうとしたのですが、外に出ると、突然、怖くなったり、楽しいことをしていても先生がそばにいて、僕のことを監視しているように思えてきて、罪責感を覚えたりするのです。教団を離れているのに、どうして、こういうことが続くのでしょうか。僕は何か、おかしいのでしょうか。

答え
カルト教団は、人の心をコントロールする(操作する)ために、必ず、「恐怖心」という名の武器を使います。まず、「あなたは未熟で、何も分からない。特別 に神に近い霊的指導者の助けが必要だ」と、徹底的に教え込み、自信を無くさせ、リーダーに依存させます。そこで信者は、徐々に自分で物事を考えたり、判断したり、決断したりしなくなり、上からの指示によって動くロボット的存在と化してしまいます。更に、こうしたコントロールを強化するために、「あなたがこのグループを出たら(指導者を裏切ったら)、神から見捨てられて滅びる。一人で生きていくことは絶対に不可能だ。不幸になるだけだ」と脅されます。この心に植え付けられた恐怖心は、ちょうど柵のような役割を果 たします。つまり、カルトから出られないようにするのです。また、結局、脱会することに成功した人がいても、長期にわたって恐怖心と戦うことになる訳です。

この恐怖心を克服するために必要なのは、まず、「あなたはグループのリーダーに頼らなくても一人で立派に生きていける」という励ましです。「あなたには素晴らしい可能性がある。大丈夫だ。積極的に人生にチャレンジしてみなさい。」周りの人々から、以上のような言葉をかけてもらえるなら、不安が減少します。健全な意味での自信、良いセルフ・イメージが生まれますが、残念ながら、それだけの理解や愛情のある人がそばにいるとは限りません。しかし、協力的な人間がいなかったとしても、問題を乗り越える方法があります。それは、聖書のみことばによって、神との個人的な関係を築くことです。

聖書は、神から人間への慰めや励ましのメッセージで満ち溢れています。例えば、イザヤ書四一章一〇節には、こうあります。

「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」

また、四三章四節、7節は、次のように述べています。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」

これらの聖句が示しているように、神は人間を愛し、人間の人生のために素晴らしいご計画を持っておられます。さらに、そのご計画が実現するように、人を強め、助け、導き、守ってくださるのです。自分が神に愛されていること、神の大きなご計画の中で生かされていること、神からの賜物(才能)を与えられていることを知ると、心の恐れや不安は、確信や希望に変わります。大切なのは、人間の言葉(カルトの脅し、周りから下された否定的な評価)よりも、神の約束をしっかりと受け止めて、信じることです。

女性統一協会員の訪問
 私が統一協会に入教するきっかけは、5年半前の1986年6月末におとずれました。その頃、私は心を満たしてくれる真理を探していました。そして親族の不幸が続くので先祖供養のことなど考えており、真剣に神様に祈っていました。
 そんなある日、一人の女の人が訪ねて来ました。3回目の訪問の時、初めてその熱意に動かされ、私の運命について、先祖、氏族の救いのお話を聞きました。生年月日と名前などで調べてきたことを話し、「神様は久子さんのことをずっと見守り、導いてきてくださったんですよ」というふうに訴えかけてきました。私はそんな言葉を素直な気持ちで信じ、聞いていました。
 その時、先祖供養に、氏族のために、家庭を守るためにと印鑑46万円を勧められ、手元にはなかったけれども、ローン会社で借りることを決意して、購入してしまいました。その日にすぐ「今、とてもタイミングよく、ある有名な霊能者が大阪に来ている。こんなチャンスは二度とないから、もっと詳しく見てもらいましょう」ということで、7月16日に霊場という所へ連れて行かれました。そして「先祖の因縁を断ち切るためには、あなたは出家しなければならない。でも、もっと近道がある。それは霊界を解放する力を持つ霊石が必要である」ということで、「またお金だ!」と思ったのですが、「あなたのおじいさんが霊界から協助して、ここまで連れて来たのです」というのです。おじいさんのことは霊場に行く前、統一協会員から氏族の亡くなった人の中であなたが情のいく人は誰かと尋ねられ、「わたしはおじいさんです」と答えていたことを後で気が付いたのですが、その時には思い出しませんでした。そして霊能者と言われる人が19万円という金額を出してきましたが、これは神の出された金額だということで、その霊石である念珠を買うことになりました。そしてこれからも、主人のために先祖と井上家の代表として、勉強を続けなさいと言われました。その一週間後、お金を持って霊場へ行きました。そこでまた、「天国の“天”という字は“2人”と書くのです。ご主人様と2人で行くために頑張ってください」と言われました。

西中島のビデオセンターへ行く
 2~3日後、私の家を訪問して私を誘った人に、西淀川区の西中島文化センターというビデオセンターへ連れて行かれました。そして森山操、倉原克直、本田たずという人たちの、その人生や霊界の話など40本位 のビデオを見ましたが、そのビデオを見ていくと、本当に心情に訴えかけられるのです。今思えば、ビデオの内容である神様と十字架の救いについてなどは、クリスチャンである主人と一緒に聖書と比べて話し合っておれば、早く間違いに気付いていたと思うのです。けれど結婚して1カ月位 で主人と二人で教会へ行く間もなく、洗脳されてしまった私は、「これぞ真理であり、神様がこの真理に出会わせるために色々な形を通 して導いてこられたのだ」と洗脳された頭で自分勝手に判断してしまいました。そして聖書を解明したとする「原理」というのを早く主人に伝えなくてはいけないと堅く決心したのです。

ウソの世界に生きる
 ビデオ・センターの人は、「あなたの主人がクリスチャンであることは、あなたにとって使命が大きくて大変だけれど、今ご主人さんに話しても分からない、伝える「時」というのがあるので、それまではメシヤ(救い主)である文鮮明に出会うために、善なるウソ(ウソも神様に対しては罪にならない)をついてもかまわないのですよ」ということでした。でもひとまず、統一協会に行って勉強していることだけは伝えようと思い、言ったところ、大反対を受けました。でもそれは主人が何も分からないから反対するので、私に条件がないからだと、2日行、4日行と30日トレーニング、そして実践トレーニングとして保育を責任分担として与えられました。けれど思うように出来ませんでした。その後は毎週月曜日の礼拝と木曜日のみことば学習と、出来るだけ出席するようにしました。礼拝のときのピアノ伴奏も私の責任分担でした。毎日、奉仕に来られたり、お勉強、実践をしている人達をうらやましく思うほどでした。それは再臨主に出会える日が一日でも早くなるという蕩減条件の生活を信じていたからです。周りの全ての人が早くメシヤ(救い主)につながるようにサタンの思いを分別 するためにと、毎日20分~40分の祈祷をしたり、1年間は水行(お風呂で肩から水をかぶる)を続けました。そして断食もしました。

原理の実践
 「毎日、実践できない分、万物で復帰すること、そして無理をすることも原理では大きな条件だ」というので、物を買って貢献するため統一協会の宝石会社が行っているアイビー展で宝石を2点(100万円分)を次々とローンで購入してしまいました。  主人復帰(伝道)のために主人を無理に絵画展に連れて行き、サタン分立数40(統一協会がしている悪魔払い)を意識していたので40万円分の絵を購入してもらいました。その時は自分だけ満足していたのです。そして今度は、氏族のメシヤ(救い人)としての責任として叔母さんに絵を見に行こうと言って誘い、百十万円の絵を買わせてしまいました。従姉妹には35万円相当の着物と友達に30万円相当の宝石を買わせたり、叔父さんには印鑑3万円分とビデオ・センターに連れて行って、コース決定(ビデオを見るための入会金のようなもの)で3万円を払わせてしまったのです。そして友人夫婦をビデオ・センターに連れて行ったりしました。

家族・親族による愛の保護と説得
 このようにして、子供を連れて家を度々空ける日が続いた時、親戚 中が心配して主人と相談した結果、ついに1990年5月1日に私を保護することになったのです。
 今思えば、私に必要な話し合いの場所だったのですが、その当時の私はどんなことを言われても原理的な考え方しか出来ず、人の意見を聞くことはサタンと相対することだと怯(おび)えていたので、保護された時は泣き叫んでいました。統一協会側では船田先生は反対牧師であり、サタンの中のサタンである。そしてお金によって働く牧師で非人間的で、どうしようもない悪人だなんて聞かされ、そのように思っていました。その時は、そのような「反対牧師」の言う通 り動いている家族を信じることが出来ませんでした。そして私が生涯かけてこの信仰を全うしようと確信していることをどうして理解してくれないのかと自分本位 に思って憤慨していました。

洗脳からの解放
 驚いたことには、両親も兄も主人も仕事を休み、毎日、本当に根気よく一緒に聖書と原理を比べ、勉強し、話し合ってくれました。そして船田牧師と小川さん、荒木さん、他にも教会にいる人達が毎日、訪ねて来て話してくださったので、それまで、まるで閉ざされた氷のような私の心が少しずつ解かされていくような感じでした。家族と先生方はどれだけ忍耐と努力を必要としたことでしょう。このようにして、私は統一協会の原理講論の間違い、文鮮明の路程(文鮮明の半生)のでたらめさを知りました。そして私を命懸けで愛してくれる家族らを見て、初めて本当の神が臨在され導こうとしておられることを実感したのです。それが5月10日前後だと思います。親の涙を見ても、何も感じない位に心が冷えて、善悪の判断が分からなくなっていたことに改めて洗脳の恐ろしさを感じました。
 このような恐ろしい事実も知らせられないままに統一協会で献身的に働いている人達に、このような事実を伝えなくてはいけないと思っています。そして私の救出のために、色々な形で協力してくださった方々のお陰で、このようにしてロボット化された私が目ざめさせて頂いたことを深く感謝しています。この御恩を一生忘れずに、私の出来る限りのことをして、御迷惑をおかけした分、償いたいと思うのです。
 現在もなお、土台のない統一協会でごまかされたまま働いている人のことを思うと、いたたまれませんが、これからは統一協会の人を救うことを意識し、頑張ろうと思います。そして主人と共に聖書のお勉強をして、夫婦の絆をより一層強くし、神の前に帰りたいと願います。本当にありがとうございました。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝道者の書三・十一)と主に感謝し、賛美せずにはいられません。
 私が信仰の道に至るまでの長い道程をお話しする時、それは私の人生の歩みのような気がします。
 私は昭和二十一年に生まれました。その時、敗戦と貧困のショックで内外の日本人だれもが茫然自失としていた状態でした。私の父は、住友の精錬工場に日本から派遣され、朝鮮の文川(ブンピョウ)という所に勤務しておりました。父がまだ朝鮮におりました時に終戦を迎え、その時からそこはソ連の支配下になりました。それで日本人は国境である三十八度線を越えて、アメリカ軍の支配下まで引き揚げなければなりませんでした。父はクリスチャンであったため主に祈り、また若くして日本人会会長を任命され、すべての人々の安全を考え、皆を先に日本に帰して、最後に十家族足らずの人々と引き揚げなければなりませんでした。その時、私はまだ首のすわらない二カ月の赤ん坊でした。(日本人の中には、その時、自分の子供を日本に連れて帰ることができないと考え、現地の方々に預ける人、また本当に子供を愛しているがゆえに、自分の手で子供を殺した人、またそれとは逆に、自己中心的な生き方ゆえに子供を捨てた人もいたそうです。)やはり私の両親にとっても、私を連れて帰ることには大変な決断が必要だったと思います。特に父は、リュックを背負ってその上に幼い姉をのせ、私を胸に抱き母の手を引いて、日本に帰ってまいりました時は、父のリュックの中身は私のおしめだけという状態だったそうです。しかし、父がすべてを主にゆだねた時、主は本当に私達を豊かに祝福してくださったばかりか、幼い私の命さえも守ってくださり、家族そろって日本に帰ることができました。
 このように、私は生まれた時から、主に祝福され、幼年期はきれいなカードを集めることとか、クリスマスの劇の楽しみなど、遊びのつもりで日曜学校に通 っておりました。中学・高校時代は受験などに追われて、ときおり教会に行くといった程度の信仰でしたが、もっと本当に真剣に神様のことをよく知りたいと思い、ミッション・スクールに進みました。そこでは、毎日チャペルアワーがあり、聖歌隊にも入って、毎日祈りの後のレスポンスをしておりました。
 すばらしいクリスチャンの教師や友人、そして花の日礼拝、クリスマス会、天地創造・メサイヤなどの賛美礼拝、色々な修養会、聖書研究会などの機会に恵まれて、主を心の中に受け入れていながら、若さゆえの潔癖な考えから、はっきりと説明のつけられない「神の奥義」という説明に疑問を感じ、また未熟さゆえに自分の物差しでしか人々を計ることができないため、彼らの不完全さを許すことができず、クリスチャンの偽善的な行為を許せないと感じたりしていましたため、主はまだ私に本当の「救い」をお与えになってはくださいませんでした。

 そして聖歌隊の先輩であった主人と結婚し、子供も授かりましたけれど、企業戦士としての主人は毎日深夜の帰宅で、独りぼっちの子育てにも、とても不安を感じておりました。そのような時、姉がエホバの証人と交わるようになり、私の所にも姉妹が来てくださるようになりました。「家庭にいながら聖書が学べる」というお話にうれしくなり、すぐ研究をOKしました。その教理は以前に私が学んだことと何か違うなとは思いましたけれど、その姉妹との研究が楽しくて、姉妹の来てくださる日を待つようになりました。しかし、その研究の真の目的は、約六カ月後に私が「エホバの証人」として行動を起こすかどうかを決定させられるものでした。私はエホバの証人の様々な教えに悩んでおりました。ちょうどその時期に、主人の転勤で東京に引っ越すことが決まり、内心「ああ、よかった!」と思ったのですが、組織の連絡網は徹底していて、私に与えられた次の研究司会者は会衆を治める長老の奥様で、とても積極的な方で、グズグズしている私もどんどん引っ張られて行かれるという感じの方でした。まるで「生きた聖書字引」のように聖書をすべて暗記していて、私の疑問もすべて聖書から説明されました。人間的にもすばらしい方でしたので、私もこの方のように聖書に精通 したい、そして自分を聖書の基準に合わせて神に祝福されるような人間へと人格を進歩させていきたいと願うようになり、必死で聖書の個人研究を始め、喜びで満たされておりました。そして、「宣べ伝えるわざ」にも用いられ、研究生も与えられたことを聖霊の導きと思って、感謝いたしておりました。そして主を受け入れ、水のバプテスマを受けました。

 その時、神様は肉体的に苦しい大きな試練を通して私を打ち砕かれ、私にその組織を冷静に見直す機会をお与えになり、その組織から離れるきっかけを与えてくださいました。
 しかしスッカリ洗脳されておりましたので、救いを求めて教会に行っても、その中で余計、疎外感を感じるだけで、心は満たされることはなく、毎日毎日泣いて暮らしていました。
 そのうち「こんな暗い生活をしていてもしようがない。どうせ私は滅びの側なのだから、もう神様のことを考えないで、この世のことに楽しく生きよう」と考えるようになりましたが、真理を知りながら神様に目を向けないで生活していくことは、私にとって逆に大きな努力が必要でした。けれども、日常の生活に忙しく追われて、年月が流れていきました。しかし、私の信仰を再び呼び起こすきっかけとなったのは悲しくも、三年前、お医者様から「お父さんの命はあと、半年!」と宣告された時でした。とても耐えられない思いがいたしました。主人と子供とはまだまだ一緒に人生を楽しむことができるけれども、父とはこの地上での残された時間があまりないと思い、主人にお願いして家を空けさせてもらい、三カ月の看病をすることができました。その時、父のクリスチャンとして人生、私の人生について深く考えさせられました。

 そしてお葬式の時、イエスの一粒の麦のたとえを牧師は話してくださり、私の心の中の神に対する思いを再びよみがえらせてくださいました。もう一度、神様の御元に立ち返ろうと、何か素直な気持ちにさせられ、その時、神様は私を許して豊かに祝福してくださり、またすばらしい姉妹と交わる備えをしてくださいました。ある集会に集った時、聖歌の四〇四番『イエスはなれをよびたもう』の「♪かえれや~かえれやと主はいまよびたもう」の歌の調べに涙が止まりませんでした。「あなたがたは恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」(エペソ二・八~九)と述べられているように、あわれみ豊かな神の大いなる愛と、恵みに感謝いたしました。

 そのような時、福音センターのHさんより立川駅前教会を紹介され、またゴスペル九〇に集まった時、私の大好きな賛美歌五二〇番の歌が賛美され、主に感謝の気持ちで涙が溢れました。
 そして毎週のリーズナー先生のすばらしいメッセージを通して、毎回主が私に働きかけておられるのをひしひしと感じ、胸の高鳴る喜びを押さえることができません。
 何年もの間、霊的に不安で、教会においても常に何かしらの疎外感を感じており、まるでサマリアの女のように日陰の女のような気持ちで集会に集っていました。自分の心の中では神様を受け入れていても、公にはクリスチャンとして認められていませんでした。
 しかし、神様はとるにたらない私のような者をも顧みてくださり、いつも共に歩んでくださり、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである」(ヨハネ三・十六)と、イエス・キリストの十字架のあがないによって私を救いの中に導いてくださり、バプテスマを受けることができましたことを心から感謝し、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」と賛美いたします。

 私は以前、モルモン教会でバプテスマを受けましたが、その後、先生の書かれた『モルモン教とキリスト教』という本をたまたま通りがかりに入ったキリスト教書店で見つけました。私は最初、その本を買おうかどうか迷いましたが、「祈りながらよく用心して読めば、惑わされることはない。いったいどんなふざけたことを書いているか批判してやろう」と思い、買うに至ったわけですが、誤っていたのは、実はウッド先生の本ではなく、私のほうであることに気づきました。以下、私の意見を述べたいと思います。
 まず、彼らは自分たちの教会こそが真のキリスト教であると言います。またその理由の一つとして、会員たちが皆いい人たちである、また非常に親切であると言います。しかしこれは大きな間違いです。どんなものを見ても、見かけだけで判断するのは人間の悪いくせです。特に宗教の場合、外見がどんなに立派に見えても、「見かけだおし」という場合があるのです。「あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです」(マタイ七・二十)。モルモン教会の実を調べれば、ジョセフ・スミスの教義が正しいか、あるいは間違っているか、すぐに見分けることができます。話をもとに戻しますと、彼らは人の愛をもって神の愛のように思わせる、つまり人が親切なのは、すなわち神の愛であると、大きなトリックを使っているのです。「似て非なる」という言葉がありますが、まさしくぴったりではないでしょうか。彼らは自分たちの愛をもって神の愛とする、つまり神を無視しているわけです。これでもキリスト教と言えるでしょうか。・・・・今まで色々と書いてきましたが、最後にいくつかのお願いがあります。
 一つは、これ以上、間違った教えにひっかる人をなくすために、一般の人にも分かりやすい本を書いていただきたいのです。これまで異端に関するすぐれた本が出ていますが、クリスチャン以外の人が読んでも分かりにくいのが大半です。是非、このような人のために、分かりやすく、一度読んだだけで間違いに気づく内容で、しかも、正統キリスト教の入門を合わせた本を書いていただきたいのです。また、これらの本を出版社の方に是非、一般 書店に置いていただけるように手配していただきたいのです。こうすれば、これ以上、異端に走る人はなくなると思います。今日では、真理を求める人が大勢おられます。それらの人に、キリスト教のすばらしさを紹介すべきだと私は思います。
 二つ目に、キリスト教会を紹介していただきたいのです。私はモルモン教会の律法主義的な生活をしていましたから、すぐに入信するかどうかは分かりませんが、一度、正統キリスト教の福音を学んでみたいのです。  最後に、モルモン教に私の友人が大勢います。どうか、彼らを救い出す方法を教えていただきたいのです。  どうか、これからも真の伝道を続けていただくよう期待いたします。

2週間後の手紙:
 お手紙ありがとうございました。また教会を紹介していただいてありがとうございました。今日、教会の集会へ行って来ました。みな良い人たちばかりで、何よりも神の愛を実感している人たちだと思いました。ぜひこの神の愛をモルモン教会の人たちにも伝えたいと思っています。

 『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』(ヨハネ14・6)

『この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も人間に与えられていないからです。』(使徒4・12)。

 まことに救いは明白です。この聖句を読むたびに、モルモン教から救い出されたことに感謝します。また正統キリスト教に出会ったことも感謝します。・・・私にとってモルモン教の友人は大きな問題となります。そのためにも、教会へ行って、正しい聖書と神の愛を学びたいと思います。そして、先生のアドバイスして下さった方法で、いつかきっと、(この私が救い出されたように)救い出したいと思います。

 私がモルモン教に知り合ったきっかけは、高校一年の頃でした。気さくな外人宣教師の二人に声をかけられ、モルモン経を買わされました。そして、一週間後にもう一度会う約束をしました。そして今度、会う時までにモルモン経を一日、十五ページ読んでおくようにとチャレンジさせられました。
一週間後、宣教師たちと会い、一時間くらいのレッスンを受けました。そして四週間後、私はバプテスマを受けたのです。
教会員になるまで、親切であった宣教師も、バプテスマを受けてからは、私にあまり関心をもたなくなったのか、新しい求道者を探すのに一生懸命で、私にはその態度が冷たく思われました。
さあ、それから戒めにがんじがらめの生活が始まりました。
コーヒー、紅茶、お酒、タバコ、コーラ、カフェインを含む飲料、アルコール分を含む食品、日常きく音楽や、日曜日の生活 ( 彼らは日曜日を、安息日といい、レジャーやスポーツはよくないとしている ) と気がへんになりそうでした。
私がバプテスマを受けてからも、よく、新しい会員が増えましたが、しばらくたつと、ほとんど来なくなってしまいます。教会の公式のバプテスマを受けた人の数は、三百人以上でも、毎週教会に出席している人は、七十人くらいでした。
私は、ホームティーチングといって教会員の家庭を訪問し、戒めなどをちゃんと守っているかを調べ、教会に報告する責任を与えられました。この責任は、私にはとても荷が重く、教会に入ってすぐ、こんなことをさせられるのは大変だと思いました。
あれこれしているうちに三年くらいたっていました。聖書を学んでいくうちにモルモンの教えと矛盾する所がいくつもありました。しかし、この教会が正しく、他の教会には神権がないので、救われないと教え込まれていたので、他の教会に行く気は起こりませんでした。
しかし、教会の責任を、愛をもって心から行なえていない自分を見て、又、戒めをちゃんと守れていない自分を見て、とても惨めな気持ちになりました。それから私は、教会の指導者に手紙を出して、しばらく教会を休むと言いました。教会を休んでいる間、私は聖書を中心に勉強し始めました。すると、聖書には、「 行ないでは救われない、ただイエス様を信じる信仰によって救われるのだ 」というふうに書いてあるということが分かってきました。
ある時私は、ウィリアム・ウッド先生の『 モルモン教とキリスト教 』をキリスト教書店で見付け、一気に読みました。その本には、モルモン教の間違いが分かりやすく書かれてありました。すぐに、私はモルモン教から抜け出す決心をしました。
モルモンの人たちは、ほとんど聖書を読みません。聖書の神学について、とても無知です。簡単な質問にも答えられない指導者がたくさんいます。
私は今、金岡キリスト恵み教会の会員として、日曜日には、喜んで教会に行き、礼拝をささげています。長い道程でしたが、律法主義のモルモンにしばらく通 ったおかげで、神の「 恵み 」の救いを心から感謝しています。モルモンは、律法を守れない自分を惨めにさせますが、神の教会は、私に喜びを与えてくれます。
今も異端にいる人々に、一日も早くイエス様を救い主として受け入れ、神の恵みによって救われてほしいと思います!
神に栄光あれ!アーメン。

カルトの脱会者による自助グループ
元カルト信者の集い
 カルトの脱会者による自助グループ『いたんだ葦の会』が1月22日(月)午前10時半より、埼玉県新座市にあるカルト研究リハビリ・センター(西武池袋線東久留米駅より徒歩25分)で開催されます。学びのテーマは、『カルトにおける入信・生活・脱会 パート3』です。参加ご希望の方は、真理のみことば伝道協会の本部まで、お問い合わせ下さい(090-8044-5751)。

マインド・コントロール問題対策DVD発売へ
 日本脱カルト協会より、『カルト:すぐそばにある危機』というDVDが制作され、発売されることになりました。若者はなぜカルトに惹かれるのか。どうして入信してしまうのか。そして、いったん、入ったらなかなか抜け出せないのはなぜなのか。ドラマ、シミュレーション、また実際の元カルト信者の体験談などから、カルト問題の謎を明らかにして行きます。定価は8,000円で高めですが、カルトの勧誘から学生を守るため、高校や大学などの現場で使えるDVDです。
ご注文は、ファックス046-263-0375、メール info@jscpr.org までお問い合わせください。

真理のみことば伝道協会主事
ウィリアム・ウッド
東京都東久留米市幸町
電話:090-8044-5751

「カルト宗教にだまされないために」ウィリアム・ウッド氏fromHarvest Time Ministries on Vimeo.