真理のみことば伝道協会

カルト宗教被害者の皆様の問題解決のお手伝いをさせて頂いております。

戦争を阻止できる絵本

2012年2月16日(木)

 『あらしのよるに』(木村裕一著、講談社)という絵本をご存じでしょうか。十年ほど前から爆発的な人気を呼び、既に多くの賞を受賞している児童書ですが、世界中の子供に読まれたら、戦争の数が激減するのではないかと思えてなりません。

 あるヤギが嵐に遭って、誰も住んでいない小屋に避難します。嵐が止むのを待っていると、誰かが小屋の中に入って来ます。それが実は、ヤギの天敵である狼なのですが、暗くて、お互いの顔が見えません。おまけに、どちらも風邪をひいていて、匂いが分かりません。ヤギは、相手もヤギだと思って、声をかけます。

 「すごい嵐ですね。でも、あなたが来てくれて、ほっとしましたよ。」

 狼のほうも、相手がヤギだとは気付かない。狼の声を聞いて、ヤギは思わず、「狼みたいなすごみのある、低い声ですね」と言いかけたが、失礼だと思い、口を閉じる。狼のほうも、「まるでヤギみたいな甲高い声だなー」と言おうとしたが、そんなことを言ったら相手が気を悪くすると思い、止めることにする。

 とにかく、色々と会話をしているうちに親しくなります。お互いに幾つもの共通 点があることに気付きます。「わたしたちは、本当によく似ていますね」とヤギが言うと、狼が、「真っ暗でお互いの顔も見えないけれども、実は顔まで似てたりして」という台詞もあります。その時、すぐ近くで、稲妻が光り、小屋の中が昼間のように映し出されましたが、ヤギが下を向いていたし、狼もまぶしくて目をつぶっていたので、お互いの顔を見ていません。次の瞬間、大きな雷の音が、小屋中を震わせます。思わず、二匹はしっかりと体を寄せ合ってしまうのです。しかし、それでも分かりません。やがて嵐が止み、それぞれ自分の家に帰るのですが、その前に、次の日に会う約束をします。「でも、お互いの顔が分からないから、どうしよう」という話になるのですが、そこで念のために、会った時に「嵐の夜に友達になったものです」という合言葉を使おうということになるのです。とても考えさせられる話です。

 私たち人間は、よく知りもしないのに、他の国の人々に対して偏見を持ったり、毛嫌いしたり、必要以上に警戒したりするのではないでしょうか。しかし、何の偏見もなく、付き合ってみると、自分と差ほど違わない、とても良い人だということに気付くのではないかと思うのです。

 「もし、ほんとうにあなたがたが、聖書に従って、『あなたの隣人を自分と同じように愛せよ』という最高の律法を守るなら、あなたがたの行ないはりっぱです。しかし、もし人をえこひいきするなら、あなたがたは罪を犯しており、律法によって違反者として責められます」(ヤコブ2章8-9節)。

 世界情勢は日ごとに、緊張感を増しています。いつ戦争が勃発してもおかしくない状況ですが、実際に戦争になった場合、数百万人もの犠牲者が出ると予測されます。今こそ、「あなたの隣人を自分と同じように愛せよ」という戒めを真剣に受け止めて、実践すべき時です。あなたの周りにも、愛すべき人はいないでしょうか。

幸せな結婚の秘訣

2012年2月16日(木)

 ある牧師夫婦がカナダで開拓伝道をして、数年のうちに、立派な教会が出来ました。ところが、ある日、まだ38歳の奥さんが突然、脳脊髄硬化症の発作で倒れて、下半身が麻痺してしまいました。しばらく入院することになりましたが、看病に当たろうとしていたご主人に対して、奥さんは意外な行動を取りました。結婚指輪を外して、「好きにして良いよ」と言ったのです。つまり、「こんな身体障害者と一緒にいるより、あなたは別 の女性と結婚した方が良い」、という意味だった訳です。しかし、ご主人は奥さんを捨てませんでした。牧師の働きをやめて、献身的に奥さんの看病に当たりました。苦しい日々が続きましたが、徐々に奥さんの状態が良くなり、ご主人と共に、再び教会の働きに復帰できたということです

 キリスト教の結婚式の中で、牧師は新郎新婦のために、次の誓約の言葉を読みます。

 「あなたは神の教えに従って、夫(妻)としての分を果たし、常に妻を愛し、敬い、慰め、助けて変わることなく、その健康の時も、病の時も、富める時も、貧しき時も、いのちの日の限りあなたの妻(夫)に対して堅く節操を守ることを誓いますか。」

 この言葉に対して、新郎新婦は順番に、「はい、誓います」と、大きな声で言いますが、誓約を守っている限り、幸せな結婚生活が送れます。しかし、悲しいことに、結婚したカップルの半分は離婚すると言われている時代です。新婚旅行のために成田に向かう途中で、喧嘩をして別 れる夫婦もいると聞きます。良い夫婦関係を保つということは、なかなか難しいのですが、聖書の中に、結婚した夫婦を支える、とても力強い言葉があります。

 「しかし、想像の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。それゆえ、人はその父と母を離れて、ふたりの者が一心同体になるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません」(マルコ10章6-9節)。

 イエス・キリストはここで、「妻を離別することは許されるかどうか」という質問に答えています。この質問をぶつけてきたパリサイ人は、離婚状を書きさえすれば、簡単に妻と離婚できると考えていました。しかし、キリストは、彼らの結婚観に根本的な勘違いがあることを指摘しておられます。結婚は、人間的なレベルで行われる取引ではありません。都合が悪くなれば破棄すれば良い、というものではありません。結婚とは、二人の人間が神によって結び合わせられることなのです。どの時代の、どのカップルも、この事実を信じるべきです。勿論、本人たちが、お互いのことが好きになって、自分たちの意志で結婚しようと決意する訳ですが、その背後に、神の導きの御手があるのです。あくまでも、自分たちの意志だけで結婚したと思っている人は、自分たちの意志でまた、離婚できると考えます。しかし、神によって結ばれたと確信している夫婦は、多少の困難があっても、別 れないのです。

罪の重荷

2012年2月16日(木)

 スチューアートというアメリカ人の話です。スチューアートはある時、車を運転していて、スーザンという18歳の女の人を引いて、死亡させてしまいました。酔っ払っていて運転していたスチューアートは、事故の直後に逮捕され、刑務所に入ることになりました。しかも、スーザンさんの家族から民事訴訟を起こされて、150万ドル(約1億5000万円)の賠償を求められました。結局、家族の勝訴になったのですが、家族は最後に、奇妙な要望を出しました。150万ドルではなく、936ドル(約10万円)だけを払えば良いと言って来たのです。但し、18年間、毎週金曜日に、家族宛に小切手を書いて、1ドルずつ、払ってほしいと言うのです。金曜日は、スーザンさんが亡くなった日です。

 150万ドルという大金を払わずにすんだスチューアートは、ほっと胸を撫で下ろしました。とても得をした気分で、彼は毎週、1ドルの小切手を、スーザンさんの家族のところに郵送しました。初めはどうということはなかったのですが、この毎週、繰り返さなければならないということが段々と苦痛になって来ました。小切手を書くたびに、自分の罪を思い出すからです。彼はそのうちに、憂鬱になり、とうとう、小切手が書けなくなってしまいました。それで、また、裁判沙汰になりました。スチューアートは、この罰は重すぎると、裁判官に訴えましたが、裁判官の判決は、「毎週、1ドルずつ、お金を払え」ということだったのです。

 自分の罪をずっと、負い続けなければならないということは、確かに苦しいことです。私たちは、人の命を奪うという罪は犯していないでしょうが、人を傷つけたり、恨んだり、憎んだり、赦せなかったりしたことがあります。私にもあります。そして、人に精神的、肉体的な苦痛を与えてしまったことを思い出す度に、胸が痛くなります。恥ずかしくて、仕方がないのです。しかし、聖書は言っています。

 「キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません」(ローマ人への手紙8章1節)。

 「罪に定められることはない」とは、つまり、神の前で有罪判決を受けることはないということです。キリストにある者は、一切の罪が赦されています。清められています。私たちは義と認められているのです。

 コーヒーカップに、コーヒーを入れて、ふたをすると、当然のことながら、中のコーヒーが見えなくなります。見えるのはカップだけです。同じように、キリストにある者は、その全存在が、キリストの力やキリストの臨在に包まれています。言い換えれば、クリスチャンはキリストと結ばれている、あるいはキリストと一つになっているのです。ですから、父なる神の前に立つ時、神は私たちの罪など見えません。見えるのは、キリストの義だけです。キリストが全人類の罪を背負ってくださり、その代価を完全に支払ってくださったという事実だけが重視されます。だからこそ、クリスチャンは何の恐れもなく、また自分の罪を意識することもなく、確信をもって神の前に出られるのです。

 「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです」(ヘブル人への手紙10章19節)。

 あなたの罪の重荷は、取り除かれていますか。

ヤベツの祈り

2012年2月16日(木)

 数年前に、自分の子供に『悪魔』という名前をつけようとした人のことがマスコミで報じられて、多くの人々を驚かせましたが、聖書の中に、「彼は苦しみをつくる」という意味の名前をつけられた人物がいます。その名前とは、「ヤベツ」です。

 「ヤベツは彼の兄弟たちよりも重んじられた。彼の母は、『私が悲しみのうちにこの子を産んだから』と言って、彼にヤベツという名をつけた。(第一歴代誌四章九節)。

 大変なお産だったのでしょう。ヤベツの母親は、余りにも苦しい思いをしたので、そのことが絶対に忘れられないように、ヤベツという名前を考え出したと思われます。私たち人間は、何かの苦しみを経験する時に、どうしても、自分の気持ちを周りの人間に理解してほしいという強い願望を持ちます。「私があなたのために、どれだけ苦労しているかを覚えておきなさいよ」と、発言をしたり、振る舞ったりするのですが、自分の苦しい気持ちのことで頭が一杯になっているので、自分の言葉や行動が周りの人間にどういう影響を与えているかを考えないのです。ヤベツの母親も、とにかく自分が苦しかったということが永遠に覚えられるように、子供に「ヤベツ」という名前を付けた訳ですが、後で、後悔したことでしょう。

 しかし、物心が付いて、自分の名前の意味を知ったヤベツは、少なからず、ショックを受けたはずです。そして、恐らく、こう考えたに違いありません。

 「僕は苦しみをつくる者だ。僕には、どんな希望があるのだろうか。どんな一生になるのだろうか。きっと、苦しいことばかりだろう。」

 結局、ヤベツは、生まれた時から、その運命が定められていたような、人生のレールが既に敷かれていたような人間でした。これは、現代社会の中でも、よくあることです。「あなたはこういう者だ」とレッテルを張られることがあります。あるいは、「あなたにはたいした能力などない」と評価されることもあります。残念ながら、ほとんどの人は、張られたレッテルを剥がそうとせず、人から言われた言葉をそのまま信じてしまうのです。また、直接、人から言われなくても、自分で自分の人生の行方を決め付けてしまうこともあるでしょう。

 「私はこういう状況の中で育ったから、こういう性格であるのは仕方がない。こういう生き方しかできないのは仕方がない。たいした知識も経験もないから、この程度のことしかできなくて当たり前だ」と、諦めてしまうのです。

 ヤベツも、初めは、定められていた運命の前で、諦めるしかないと思ったことでしょう。しかし、彼はある時から、真の神を求めるようになり、考え方ががらっと変わりました。神の力によって、自分の人生を変えることができる、と考えるようになったのです。ヤベツは決して、自分に与えられた運命を受け入れませんでした。本来ならば、苦しみの人生を歩むことになるはずでしたが、彼は大いなる祝福や繁栄の人生を求めました。

 「ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。『私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。』そこで神は彼の願ったことをかなえられた」(十節)。

 こうして、ヤベツは祈りによって、自分の宿命を祝福に変えてしまいました。あなたも、同じようにできるはずです。

神が人間となられた日

2012年2月16日(木)

 昔、ペルシアを治めていた、シャーアビスという王の話です。シャーアビスは、国民をよりよく理解するために、時々、変装して、一般 の人の間に紛れ込み、皆と交わりを持つことにしていました。ある時、一人の貧しい男の人を見付けて、彼のそばに座りました。色々な話をしたり、また、男の人の粗末な弁当を分けてもらって、一緒に食べたりもしました。その後、シャーアビスは定期的にその男の人を訪ねるようになり、とても親しくなったのですが、しばらくしてから、自分が何者であるかを、男に明かしました。王だということが分かれば、きっと何かの願い事を申し立ててくるに違いないと思って、シャーアビスはじっと男の人の反応を見ていました。しかし、呆気にとられた男は、ものが言えなくて、しばらく黙ったままでした。やっと、口が聞けるようになると、彼はこう言ったのです。

 「貴方様は、私のために宮殿を離れて、御位をお捨てになりました。私の粗末な食事を共にされ、私の苦しみや喜びを分ち合ってくださいました。貴方様は、他の人には富や地位 などをお与えになるかも知れませんが、私にはもっともっと価値のある贈り物、つまり、あなた御自身を与えてくださったのです。願わくは、ずっと私の友達でいてくださいますように。」

 クリスマスの日に、私たちは、主の主・王の王なるイエス・キリストが、天の御位 を捨てて、人間として生まれてくださったことを覚えます。天地万物の造り主、神ご自身が人間の姿を取られ、私たちの世を訪れてくださったことをお祝いするのですが、このクリスマスの驚くべき出来事によって、私たちは本当の意味で神の姿を見、また、神を知ることができるようになりました。しかし、そればかりではありません。神との親密な交わりに入ることが可能になったのです。ちょうど、貧しい男がシャーアビスと親しい友達になったように、私たちも神との親密な関係が持てるのです。

 「初めに、ことば(注:キリスト)があった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。・・・・・・この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。・・・・・・ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた」(ヨハネによる福音書1章1、11-12、14節)。 これがクリスマスの素晴らしいメッセージです。神はもはや、私たちから遠く離れたような、知り得ないような存在ではありません。主は自ら私たちの世を訪れてご自身を現してくださり、そして今も、信じる者と共に住んでいてくださいます。私たちの話を聞いてくださり、またいつでも、私たちに豊かな恵みを与えてくださるのです。

 メリー・クリスマス!

マインド・コントロール問題対策DVD発売へ
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ご注文は、ファックス046-263-0375、メール info@jscpr.org までお問い合わせください。

真理のみことば伝道協会主事
ウィリアム・ウッド
東京都東久留米市幸町
電話:090-8044-5751

「カルト宗教にだまされないために」ウィリアム・ウッド氏fromHarvest Time Ministries on Vimeo.