真理のみことば伝道協会

カルト宗教被害者の皆様の問題解決のお手伝いをさせて頂いております。

 ラエリアン・ムーブメントという宗教団体は、昨年九月に、「医療ミスで生後十カ月の赤ん坊を亡くした米国人夫婦のためにクローン人間を作る」と宣言しました。冷凍保存したこの赤ん坊の血液細胞から核を取り出し、代理母の卵子に移植し、子宮に戻してクローンを育てるといいます。ラエル教祖は、「不妊に苦しむ夫婦や同性愛カップルから、クローンという選択肢は奪えない」と、人間の複製を正当化しようとしていますが、両親の米国人夫婦から、約二億円の提供が約束されていることが関係しているようです。また、「自分や子供のクローンを作って」という依頼が数千件来ているということですから、儲けの大きいビジネスと見込んでいるのではないかと思われます。

 2000年12月31日に、40年の信仰暦を持つ、一人のエホバの証人の主催監督(アメリカ人)が、ブルックリン本部に対して、辞任状を提出しました。辞任の理由は、ものみの塔聖書冊子協会が、児童性的虐待者の保護地帯になっている、ということです。元主催監督の話によると、組織の上から下に至るまで、児童に対する性的虐待がはびこっており、その問題が発生していない会衆は一つもないそうです。更に、彼は、エホバの証人の子供の三人のうちの一人が、一度は性的虐待を受ける、と推定しています。このような事態が容認されるのは、組織の方針に原因があるようです。会衆内に、長老から性的虐待を受けた子供が長老を告発しても、長老本人が罪を否定した場合、あるいは、二人か三人の証人がいなかったり、証拠がなかったりした場合、審理措置が講じられず、長老は「潔白な人」と見なされることになっています。
 「告発されても、もし当人がそのような事実はないと言うなら、長老たちは告発した人に、審理措置は何も講じられないことを説明すべきです。そして会衆は告発された人を引き続き潔白な人とみなすでしょう。聖書によれば、審理措置は、二人または三人の証人がいなければ取ることはできません。(コリント第二、十三・一。テモテ第一、五・十九)たとえ二人以上の人が、同じ人からの虐待を受けた『覚えがある』としても、そうした回想は至って当てにならない性質のものであるため、裏づけとなる他の証拠がない限り、審理上の決定を下す根拠にはなりません。これは、その種の『記憶』が事実無根とみなされる(もしくは事実と見なされる)という意味ではありません。しかし、審理によってある問題を明らかにするに当たっては、聖書の原則に従わなければなりません」(『ものみの塔』誌、1995年11月1日号、28~29頁)。
 ものみの塔の方針によれば、長老に対する審理措置を取るために、「二人または三人の証人」や、「裏づけとなる他の証拠」が必要ですが、当然のことながら、児童虐待者は、人のいないところを狙って、子供に手を出します。ですから、「証人」や「証拠」がないのは、当たり前のことです。また、告発された長老が、罪を否定しさえすれば、「潔白な人」と見なされる訳ですから、当然、「私はやっていません」と言うに決まっています。こうして、ものみの塔協会は、児童性的虐待を容認しています。元主催監督の言葉を借りると、「児童虐待者のパラダイス」になっているのです。

 二十一世紀を迎えた今、ものみの塔聖書冊子協会の二十世紀に関する「預言」が注目されています。組織は、次のように述べていました。
 「間もなく、二十世紀のうちに、エルサレムの現代的象徴であるキリスト教界に対して、『エホバの大いなる日の戦い』が始まるでしょう」(『国民は私がエホバであることを知るであろう---どのように?』、1971年発行、216頁、英文)。
 「世界のすう勢や聖書預言の成就から見て、この世界の邪悪な体制が世紀の変わり目まで続く可能性は非常に少ないように思われますが、たとえそれまで続いたとしても、第一次世界大戦の世代は依然として残っていることでしょう。しかし、その数が減少していることは、『事物の体制の終結』が急速にその終わりに向かっていることを示すもう一つの兆候です」(『ものみの塔』誌、1981年1月15日号、31頁)。
 「そのしるしが成就しはじめた年である一九一四年の『世代』は『これらのすべての事が起こるまで、決して過ぎ去らない』ともイエスに言われました。(マタイ二四・三四)その『世代』の人々の中には、今世紀の終わりまで生き残る人が幾らかいることでしょう。しかし、多くの兆候は、『終わり』がそれよりもずっと間近に迫っていることを示しています」(『ものみの塔』誌、1984年6月1日号、18~19頁)。
 「フランスに住むキャロルは『すばらしい希望を』抱いていて、近い将来に、『わたしたちが住んでいる世界とは全く違う、すばらしい世界が来る』と見ています。同じ国の十五歳の若者サミュエルも完全な変化が訪れることを信じています。『西暦二〇〇〇年には世界が美しい楽園に変わっているところを思い浮かべることができます。でも、今の世界も、今の世界の支配者たちも、生きてその日を見ることはないと思います。・・・・・・私たちは事物の体制の終わりの時に住んでいます』」(『目ざめよ!』誌、1986年11月8日号、7~8頁)。(注:この言葉は、一人のエホバの証人の若者の言葉として引用されていますが、組織の方針に合わない言葉であるなら、読者に紹介されるはずなどありません。)
 「使徒パウロは、キリスト教宣教者の活動の先鋒となりました。そして同時に、この二〇世紀に完了するであろう業の基礎を据えていたのです」(『ものみの塔』誌、1989年1月1日号、12頁)。(注:製本された『一九八九年ものみの塔』[英文]には、この言葉は次のように訂正されています。「そして同時に、私たちの時代に完了するであろう業の基礎を据えていたのです。」言うまでもなく、訂正されたことを示す注意書きなど、ありません。なお、どういう訳か、製本された日本語版の雑誌は、訂正されていません。)
 このように、ものみの塔協会の歴史が長くなればなるほど、その偽預言のリストもまた、長くなる一方です。旧約聖書の時代、語ることが実現しなかった「預言者」に対する罰は、死刑でした。
 「ただし、わたしが告げよと命じていないことを、不遜にもわたしの名によって告げたり、あるいは、ほかの神々の名によって告げたりする預言者があるなら、その預言者は死ななければならない。あなたが心の中で、『私たちは、主が言われたのでないことばを、どうして見分けることができようか。』と言うような場合は、預言者が主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは主が語られたことばではない。その預言者が不遜にもそれを語ったのである。彼を恐れてはならない」(申命記18章20~22節)。
 偽預言者の上に、このような厳しい罰が下ることになっていたのは、その人が周りの人間の生活に与える影響が、非常に大きいからです。人々は、「預言者」の言葉を信じるだけでなく、その言葉に自分の生活を合わせます。例えば、ものみの塔の一九七五年の預言の時のように、大学に行ったり、就職したり、家庭を持ったりする夢を捨てる若者が出て来ます。家や財産を売る人もいます。ですから、偽預言(語ったことが起こらない)という罪は、神の前では、とても重いのです。
 聖書に付き従うクリスチャンは、罪を犯した時に、その罪を悔い改めます。悔い改めとは、まず、正直に罪を告白することです。偽預言者の場合、「私は偽預言者です」ということを、公に言い表すことが必要になります。しかし、悔い改めはそれだけで終わる訳ではありません。更に、悔い改めとは、罪をきっぱりとやめることです。ですから、語ったことが実現しない人がいた場合、「私は二度と預言しない」という固い決意が求められる訳です。
 心から悔い改める者に対して、聖書は神の赦しや聖めと共に、罪に勝利する力を約束しています(使徒2・38)。しかし、また、心を頑なにして、悔い改めようとしない者には、救いの道が閉ざされることを警告しているのです(ヘブル3・7~11)。
 ものみの塔聖書冊子協会は百年間、偽預言の罪を繰り返して来ましたが、一度も、悔い改めていません。公に「私たちは偽預言者です」と告白したこともなければ、「偽預言の罪を憎み、その罪を捨てます。私たちはもはや預言したりしません」と発表したこともありません。だからこそ、何度も、同じ過ちを繰り返し、組織のメンバーに多大な被害を与えて来たのです。その罪は、決して小さくはないのです。

吉沢さん家族の体験2

2012年2月16日(木)

妻:救出された立場から
 私のような者でも、主が愛してくださり、カルトから救い出してくださったことを、心から感謝しています。ここに、元エホバの証人としての経験を少し語らせていただきます。
証人と研究を始める前まで、一度も聖書を勉強したこともないのに、研究がどんどん進むにつれ「これは真理だ。私の歩む道はここしか考えられない」と思うようになりました。マインド・コントロールにばっちりはまっていましたので、どんなものも私をエホバから引き離せないと思っていました。神だと信じていたものが、偽りの組織だったなんて、考えたこともありませんでした。
夫は、私が証人をしていた時から協力的で、大会や集会、奉仕に出掛ける時も、送り迎えをしてくれていました。今思えば、夫が救出をひそかに計画し始めた頃から、日曜日に、午前中は近くの教会、午後は私たちとエホバの証人の王国会館へ一緒に来てくれるようになり、これで夫も、ものみの塔が真理だと解り、エホバの証人となって「うちも神権家族だ」と喜んでいました。

<救出時>
 ところが、今年の2月下旬「家族の将来について大切な相談があるので来てほしい」と言われ、夫の弟が借りているというウィークリーマンションに連れて行かれました。楽天家の私は、何の疑いもなくそこに入りました。しかし、そこでは、何年に一度くらいしか会わないような親戚 の人が来ていたり、主人の母に「御免ね。カヨちゃんに意地悪するつもりじゃないんだけど・・・」と言って泣かれてしまった時は、これはただ事ではないと思いました。  夫の険しい表情を見て、すぐに宗教の話だと直感しましたが、真理は勝つと確信していたので、不安ではありませんでした。ウッド先生の話し出しも、問題のある宗教という所からで、ものみの塔(エホバの証人)批判ではなかったので、すんなり話を聞くことができました。

<気付き>
 話を聞き始めてから2~3日目くらいになると、問題ないと信じていたものみの塔の組織の偽善が分かり始め、ガラスが崩れるように、私の心も崩れていくように感じました。エホバの証人となって6年、研究生の時も合わせれば約9年も、自分は誰のために何をしてきたのだろうと思うと、虚しさを感じ、頭は混乱、動悸がして夜は眠れず、この先いったい自分はどうなるのか考えられない状態でした。

<キリスト教会>
 1週間ほどで脱会する心構えができ、夫と共にそれまでお世話になっていた主宰監督の家に断絶届けを出しに行きました。兄弟姉妹たちが悪い訳ではないのに、もう以前のように会ったり、話したりできなくなると思うと、涙が止まりませんでした。今後のことを考えなければなりませんでしたが、それまで「大いなるバビロン」と教え込まれていた教会へは、なかなか足を踏み入れる勇気が沸いてきませんでした。しかし、聖書の本当の理解が得たいと思っていましたし、夫が「自分に合う教会が見つかるまでいろいろ行ってみよう」と言ってくれたので、断絶届け提出後、次の週から礼拝に行くようになりました。教会も3~4件回りましたが、ある教会では「おたく以前はどこの教会でしたの?」と聞かれ、ちょっと言いにくかったのですが、「以前はエホバの証人だったんです」と言うと、「あらエホバ?あそこは異端だから、相手にしていないのよ」と言われ、涙が出る思いがしました。
あまりエホバの証人について、理解されていないのか、証人時代、戸別 訪問で「うちはクリスチャンで、教会にも通っている」という家に何件も入ったことがあります。しかし、エホバの証人の間違いを気付かせてくれるような的確な質問は受けたことはありませんでした。例えば、「エホバの証人の方は、救われた経験をお持ちですか。聖書の第二コリント6章2節では、『今日は救いの日』とありますようね」とか、「ものみの塔では、御子イエスが被造物であると教えていますよね。聖書の神は、永遠に愛なる方とあるのに、イエスを創造する以前は、父なる神は何を対象に愛を現していたのですか」など・・・。証人が戸口に来た時、多くの質問をしてくださるのなら、本当の神様に出会う証人も多くなると思います。

<救出後>
 今の教会は、エホバの証人と研究していた方が何人かいて、経験を聞かせてくださいました。牧師先生も、1年ほど研究してくださったようですが、組織の教えを理解しないので、向こうから研究を切られたとおっしゃっていました。このような教会での交わりに加え、夫の理解と、インターネットの情報、JWTC(「エホバの証人をキリストへ」:中沢啓介先生)の受講、以前証人だった人や研究をしていた人との交わりが助けになっています。特に、JWTCでは、元証人たちの意見を聞いたりすることもでき、共感共鳴できて嬉しくなります。情報もたくさん聞けますし、自分にとっては大変、助けになっています。

<友人関係>
 しかし、生活していて一番つらいのは、やはり、以前は仲間だった人たちが、背教者(組織を離れた人間)とは挨拶の言葉も交わしてはならないと教えられているので、ほとんど無視状態にあることです。小学1年の子供と同じクラスの子供を持つある研究生の方と学校の保護者会で会っても、逃げるようにされてしまいます。子供たちも、それまでは仲良しだったのに、ほとんど口を利いてくれないそうです。
仲間や友達だと思っていた人々が、証人をやめたと同時にほとんどいなくなってしまうのは、とても辛く、今でもそれが心に重くのしかかっています。一日も早くみんなが組織の偽りに気付いてくれるよう願ってやみません。組織を抜けたことは間違いではないと分かっていても、証人たちから見れば、私はサタンに引き渡され、悪霊にとりつかれた背教者としか映らないと思うと、証人たちとは会いたくないと思ってしまいます。
ある日の午前中、銀行に用事があり、出掛けたのですが、通る道々「あっ、ここは奉仕の集合場所。あっちでは証人が家から家を回っているのではないか、こっちでは休憩しているのではないか」と思うと、胃が痛くなってきて、さっさと用事を済ませ、自転車をすっとばして帰って来ました。組織は間違っていると伝えたいのに、証人たちには会いたくないという、矛盾した気持ちです。
この暑い最中、汗水垂らして奉仕活動だと言いながら、組織のロボットとなって働いている彼らのために、私はいったい何ができるのだろう。一人になると、いつもそのことばかり考えています。あの兄弟だったら、この姉妹だったら、こう言ったら、こうしたら、少しは聞いてくれるのではないか、と考えたりもします。2~3人に手紙を書きましたが、返事はありませんでした。

<脱会後の生活>
 このような心の葛藤はありますが、証人時代と比べると、時間にゆとりをもって、生活できるようになり、子供たちと図書館に行ったり、映画を見たり、家族でキャンプをしたり、先日は、奥渡良瀬の富弘美術館へも行きました。いろいろな考え、経験、話を聞いたり見たりすると、それまで組織によってガチガチに固められていた考え方が、緩やかに幅広くなっていく気がします。「ああ、こんな私でも大丈夫なんだー」と、安心できるようになりました。今までは、古い人格を新しい人格に変えて、24時間エホバの証人で、良い母、良い妻、良いクリスチャンでなくてはと、いつも一生懸命に努力していなくては、エホバ神を喜ばせることができませんでした。しかし今は、ニッコリしている神様の御手の中で、家族が手をつないで安心して生活できているような気がします。

2000年9月 吉沢 カヨ

吉沢さん家族の体験1

2012年2月16日(木)

我が家を襲ったエホバの証人の悲劇と主の救い

夫:救出した立場から
 私の妻は、ものみの塔でバプテスマを受けて5-6年、私は(妻の入信当時)よくある例のとおり、仕事優先で家庭のことを妻にまかせきりの生活をしていました。そして、約2年前、たまたま書店でウッド先生の本を見かけたのをきっかけに、救出を考えることとなり、今年3月にウッド先生をはじめ、多くの方々のご協力により、無事、妻や子供たちをものみの塔の組織から、救い出すことができました。  ここで私からは、夫である「救出する側」の立場から、カルト研究リハビリ・センターについて、参考にしていただければと思い、少し経験を書かせていただきます。

<救出前>
 「このままではいけない、何とかしたい」と思った時、まず始めに困ったのが、「こんなことは、いったい何処に相談に行けばいいのか」ということでした。公共の相談所?警察?教会?。。。周囲の人にはなるべく知られたくないという気持ちがあり、友人や、会社の仲間にはとても相談できないと思っていました。とはいえ、「何とかする」ためには、知っておきたいことがたくさんありました。
・「エホバの証人」についての詳しい実態、情報
・救出するためには、どんな方法があるのか
・救出のために、何を準備すればいいのか
・うまく救出できた方は、どのようにしたのか

そんな中、パソコンでインターネットを始めたこともあり、検索結果 からあるホームページを見そこからたどり着いた多くのエホバの証人に関する情報のページなど、私の場合は、それが情報収集始めるきっかけとなりました。
今後も、家族の救出を考える人たちにとって、まず情報収集が必要になってくるでしょうが、多く方がそれらの入手方法を悩んでしまうことになると思います。また、情報を入手できないため、危険カルトの実態をよく分からないまま放置し、救出も諦めてしまっている方も多くおられるはずです。 救出する側の立場としては、『カルト研究リハビリ・センター』のような物が実現され、救出前のような準備の部分でも、一つの情報源として役立ってくれればと思っています。

<救出後>
 保護救出のカウンセリングをしていた場所から、自宅に戻ると、家の中の光景、周囲の状況などは、以前と変わらない状況からのスタートとなりました。
帰宅直後は、家の本棚には、まだ『新世界訳聖書』をはじめ、ものみの塔聖書冊子協会の書籍や出版物がギッシリ並んでいます。また、食事のための買い物に出れば、近所におられるエホバの証人の方に顔を合わせることもしばしばあります。このような状況ですので、救出後のしばらくの間、妻は心の浮き沈みもあり、気持ちの不安定な時期がありました。
そこで、私としては、ものみの塔の書籍関連を一日も早く処分したかったのですが、なかなかタイミングがつかめませんでした。そして、比較的、妻の気分が良さそうな日に、実際に処分を始めたのですが、それでも沢山の書籍を段ボール箱に詰め込んでいると、いろいろ思い出されることがわき出てくるためか、妻は涙を流しながら片付けていました。そのような妻に対して、私は何をしてあげればよいのだろうか、救い出した側としても、戸惑い、不安に思うこともよくありました。やはり、救出後しばらくの間は、気持ちの整理もしっかりできていない部分もあるため、これらの再スタートに向けての準備での出来事は、リハビリの大切さを実感することとなりました。
また、救出後もっとも困ったのは、普段の生活に戻った時の「時間の使い方」でした。妻がエホバの証人だった当時は、やはり日中はほとんど毎日、奉仕に出掛け、戸別 訪問に多くの時間を使っていました。ところが、救出後は、それらの時間がそっくりまるまる空いてしまうのです。私もいつまでも会社を休んで、一緒にいてあげられる訳でもありません。日中、一人になって、妙に時間が空いてしまうと、妻はかつての証人時代のことをなつかしく思ってしまうのではないか、何か新しい時間の使い方を見付けなければならない、という思いが出てきました。
ものみの塔の教えの誤りに気付いたとはいえ、「それじゃ、普通のキリスト教の人たちは、普段どうしているだろうか」とか、「日曜日に教会に行くのは分かるけど、それ以外の平日はいったい何をしているだろう」など、その後の新しいパターンを見付けだすためにも、知りたいことが出てきたりもしました。
幸い私たちは、いろいろな方のご紹介で、いくつかの教会を教えていただいて訪ねてみたり、何人かの元証人ともお話ができる機会もつくれました。また新しい生活パターンのために、近所に家庭菜園を借りることができたので、家族の時間として、子供達と共に畑仕事なども始めました。救出から半年たった今では、毎日、何かと忙しく過ごせるようになったのが嬉しく感じられます。結局、この新しい「時間の使い方」が、なるべく早く、うまく見付けられるかどうかも、リハビリ面 では大切な部分のように感じました。
このように、救出後の不安定な心を癒すため、また新しい生活パターンを見付けだすための情報源としても、「カルト研究リハビリ・センター」のような場所が役立つのではないかと思っています。

2000年9月 吉沢 修

カルトの脱会者による自助グループ
元カルト信者の集い
 カルトの脱会者による自助グループ『いたんだ葦の会』が3月26日(月)午前10時半より、埼玉県新座市にあるカルト研究リハビリ・センター(西武池袋線東久留米駅より徒歩20分)で開催されます。学びのテーマは、『カルトにおける入信・生活・脱会 パート4』です。参加ご希望の方は、真理のみことば伝道協会の本部まで、お問い合わせ下さい(090-8044-5751)。

マインド・コントロール問題対策DVD発売へ
 日本脱カルト協会より、『カルト:すぐそばにある危機』というDVDが制作され、発売されることになりました。若者はなぜカルトに惹かれるのか。どうして入信してしまうのか。そして、いったん、入ったらなかなか抜け出せないのはなぜなのか。ドラマ、シミュレーション、また実際の元カルト信者の体験談などから、カルト問題の謎を明らかにして行きます。定価は8,000円で高めですが、カルトの勧誘から学生を守るため、高校や大学などの現場で使えるDVDです。
ご注文は、ファックス046-263-0375、メール info@jscpr.org までお問い合わせください。

真理のみことば伝道協会主事
ウィリアム・ウッド
東京都東久留米市幸町
電話:090-8044-5751

「カルト宗教にだまされないために」ウィリアム・ウッド氏fromHarvest Time Ministries on Vimeo.