真理のみことば伝道協会

カルト宗教被害者の皆様の問題解決のお手伝いをさせて頂いております。

水戸黄門とイエス・キリスト

2012年2月16日(木)

 テレビの「水戸黄門」という番組があります。ちりめん問屋の光右衛門を名乗る人物が、助さんと格さんというお供を連れて、日本全国を巡り歩きます。放送時間が終わる五分前くらいになると、お供の助さんか格さんが懐から葵の紋のついた印籠を取り出し、「この紋所が目に入らぬか。頭が高い!一同、控えおろう!」と言って、光右衛門の正体を明かします。すると、一同はその御威光の前に土下座してひれ伏すのです。これで一件落着、めでたしめでたしとなります。

 それにしても、天下の副将軍の御威光というのは、たいしたものです。また、番組を見る度に考えることですが、テレビに登場する徳川光圀という人は、少し、イエス・キリストに似ています(番組の内容は歴史的に根拠の薄いものとされているようですが)。自分の立場を隠しながら、へりくだって人々に仕え、虐げられている人間を悪者の手から救う。その中で、ひどい目に遭ったり、バカにされたりするけれども、最後に、自分の正体を現すと、皆、彼に従わなければならない。まさに、聖書で描かれているキリストの姿です。キリストはこの地上を歩まれている間、ご自分の栄光を隠しながら、普通の人間として生活されました。しもべの姿を取り、人々に仕えられたのです。

 「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして(『詳約聖書』:「そのすべての特権と正当な威厳を脱ぎ捨てて」)仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです」(ピリピ書2章6-7節)。

 しもべの姿を取られたキリストを見て、ほとんどの人々は彼の正体を知ることはありませんでした。ただ少数の弟子たちだけが、「あなたは神の子です」と告白したのですが(マタイの福音書14章33節参照)、十字架上で死なれ、その三日後に復活された時に、ついに、ベールが取り除かれ、キリストの栄光が現されたのです。

 「この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです」(ローマ書1章2-4節)。

 ここにあるように、人間の見地からすれば、キリストは「ダビデの子孫」でしたが、復活の朝、神の御子としての本来の栄光が明らかにされました。その時、父なる神は全人類に対して、「空になったこの墓が目に入らぬか。一同、控えおろう」と命令されたのです。 使徒パウロは、前記のピリピ書の聖句の後、こう結論づけています。

 「それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです」(2章9-11節)。

 あなたは、「イエス・キリストは主です」と告白したことがありますか。