真理のみことば伝道協会

カルト宗教被害者の皆様の問題解決のお手伝いをさせて頂いております。

祈りの秘訣

2012年2月16日(木)

 「自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。『ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もう一人は取税人であった。パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。「神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを感謝します。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。ところが、取税人は遠く離れて立ち、自分の目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。「神様。こんな罪人の私をあわれんでください。」あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです』」(ルカによる福音書18章9-14節)。

 この話に、二人の正反対の人物が登場して来ます。まず、パリサイ人。彼は厳格な律法主義者で、律法を厳格に解釈し、それをできるだけ忠実に実行しようとした人です。一方、取税人というのは、イスラエル人でありながら、ローマ帝国に協力して、同胞から税を取り立てた人のことです。多くの場合、法によって定められた以上の税を取り立て、ローマ人に渡す以外のお金を自分で着服し、金持ちになっていました。こうして、取税人は、その不正直さと、ローマ人に協力していたということで、イスラエル人から嫌われていました。

 この対照的な二人の人間が、宮で祈りを捧げました。まず、パリサイ人の祈りですが、注目すべき点は、彼が神の助けを求めていないことと、自分が体験した神の恵みについて一言も述べていない、あるいは感謝していない、ということです。結局のところ、パリサイ人は自分の立派な行いを羅列しているだけなのです。

 パリサイ人の祈りに対して、取税人の祈りは単純明快でした。

 「神様。こんな罪人の私をあわれんでください。」

 彼は自分を着飾ることをせず、神の前で正直になり、「私はあなたが必要です」と、神のあわれみにすがりついています。ある人は、「随分、調子の良い祈りだなー」と言うかも知れませんが、実は、この祈りこそが神に聞かれた、とキリストは言われます。そうです。神に喜ばれる祈りとは、自分の弱さ(罪)を認め、必死の思いで神の恵みを求める祈りです。

 パリサイ人は、自分の努力によって律法を守り、神に受け入れられる人間になったと考えていました。つまり、「私は大した者だ」と、自分の善い行いを並べ立てる祈りをした訳ですが、美徳を鼻にかけていた彼は、高慢になり、他人を軽蔑する人となってしまいました。こうして、彼自身も、神の前で多くの罪を持っていた人間でしたが、彼にはその自覚が全くなかったのです。実際に、「神の助けがなくても、私は、自分の力で立派にやっていける」という考えを持つこと自体が、造り主なる神に対する最大の罪だと言えます。神に背を向けることと同じだからです。

 祈りの秘訣は、自分の霊的状態を素直に見つめつつ、期待をもって神を見上げることです。「神様。あなたが必要です。助けてください」と心から叫ぶことなのです。