真理のみことば伝道協会

カルト宗教被害者の皆様の問題解決のお手伝いをさせて頂いております。

 真理のみことば伝道協会の代表ウィリアム・ウッドが書いて、社会委員会で承認された文書が、日本福音同盟の理事会に提出され、近々発表される見通しとなりました。教会におけるカルト化問題について警鐘を鳴らすことを目的とした文書はこれまで、2003年と2005年の2回、提出したものの、理事会で却下されています。しかし、今回は、12月15日の理事会において、「お願い文」として、各諸団体代表宛に送られることが決定されました。訂正されることもあるかも知れないとのことですが、以下のような文書です。

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 「近年、牧師による暴力、セクシュアル・ハラスメント、献金の強要など、牧師の不祥事が増えており、裁判でその真偽が争われたり、一般のメディアでも取り上げられたりする事態となっています。これまでこのような事件は、教会では起こり得ないことと思われがちでした。不祥事が起こったとしても、一部の教派や限られた特殊な人が起こした例外的な事件と、捉えられがちでした。しかし、一般の週刊誌などでも取り上げられたように、これらの事件は伝統的な教派や教会においても起こる傾向が強まってきており、もはや私たちは他人事としてこれらの事件を傍観することは許されない事態となりつつあります。

 今、起こっている諸問題の根本的な原因の一つとして、「霊的権威」に関する誤解、及び、その乱用を挙げることができると思われます。聖書にあるように、牧師は羊飼いとして群れを守り、養い、導くための権威を神から委ねられています。「主はこう言われる」と確信をもって、聖書のみことばを語る時にのみ、羊は安心すると共に、健やかな成長を遂げていきます。また、その信仰の成長は、あくまでも神とのより強い関係、深い交わりを意味するもので、結果的に自立したクリスチャンが育ち、一人一人が主にある自由、平安、喜びを経験していきます。しかし、残念なことですが、幾つかの教会では、霊的権威を主張する牧師への依存(思考停止)、牧師の人間的な思い(ビジョン)の絶対化、従わない者への懲らしめ(実質は暴力)、献金の強要、人権の無視といったことが行なわれています。「私は牧師だから、何も考えずに私に従え!」という牧会方針は、一見して、有効な訓練方法のように見受けられるかも知れませんが、これは実際には、すべてのカルト化した団体に共通するマインド・コントロールの手法であって、人間の成長を促すものではなく、逆に成長を止めてしまうものです。牧師に依存する信徒は、物事を考えたり、判断したり、決断したりすることを自らやめて、リモコンで操作されるロボットと化してしまいます。言うまでもなく、これは決して聖書の教える霊的成長ではありません。

 今後、「真理の道がそしりを受ける」ことが決して増えることのないようにしなければなりません(2ペテロ2・2)。教会は神のものですから、私たちは自らを厳しく吟味しなければなりません。それは、福音による赦しを語ることを託されている教会だからこそできる悔い改めのわざであって、互いを非難することではありません。教会のきよさと神の正義がこの世に証しされるため、以下の諸点について、自己吟味をすべきです。

 1)自分の霊的優越性ばかりを主張していないか。「わたしは特別に聖霊を注がれている」、「私はあなたがたより神と近い関係にある」、「霊的な事柄に関しては、私がいちばんよく知っている」などの発言があるとすれば、それは、高慢さの現われだけでなく、プロテスタント改革の柱の一つである「万民祭司」を否定するものとなります。

 2)聖霊のみわざを待ち望む代わりに、マインド・コントロール的な主張を用いていないか。「私の言うことを聞かない人は神に裁かれる」と恐怖心を植えつけたり、圧力をかけて献金や献身を強要したり、情報統制をしたりすることは、人の心を支配するための肉的な手段に過ぎず、真の意味で神のみわざを促進するものではありません。教会形成も、福音宣教も、聖霊によってなされるべきです。

 3)自分に依存する信者を育てて、正しい教育に対する勘違いをしていないか。正しい教育の目標は、自立した人間の養成にあります。すなわち、人の手を借りずに、一人で考えて判断し、責任を負うことのできる人間です。「うちの信者たちは霊的な子どもだ。彼らは、霊的親である私の助けがなければ、何も分からないし、何もできない。だから、彼らにいちいち指示を与えるのは、彼らのためだ」という発想は、真の成長を止めてしまうものです。

 4)信徒の上に権力をふるっていないか。ペテロの第一の手紙にあるように、霊的指導者は「その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範とな」るべきです(5章3節)。独裁者ではなく、サーバント・リーダー(しもべ的指導者)になることです。

 これ以上、真理の道がそしりを受けることのないように、今こそ、自らを吟味し、教会の牧会方針や訓練・教育プログラムの中に、カルト的なものがないかどうか、聖書から逸脱している部分がないかどうかを点検し、主の前における健全な牧会指導のあり方を見直すべき時だと思います。肉的(カルト的)な手段を用いずに、聖霊に頼り、神のみわざを待ち望むことこそ、日本のリバイバルの鍵です。」