真理のみことば伝道協会

カルト宗教被害者の皆様の問題解決のお手伝いをさせて頂いております。

カルトQ&A

カルトとは、何ですか?

2012年2月15日(水)

質問
「数年前から、『カルト』という言葉をよく聞くようになりましたが、カルトとは、何ですか。他の宗教団体を排除するために、あるいは自分のグループを正当化するために用いられる『便利な言葉』のようにも思えてなりません。『カルト』は、間違った意味で使われることも多いのではないでしょうか。」

答え
6年前の、例の地下鉄サリン事件が起きて以来、英語のcult(カルト)という言葉が日本のマスコミでよく使われるようになりました。これは、ラテン語のcolere(耕す)から来ています。英語のculture(文化)という言葉もそうです。人間の手が加えられた、耕された土地、その上で営まれる人間の営みというようなことから、「文化」という言葉が出て来ました。その文化の中でも特に宗教の色々な営みのことを「カルト」と言っていました。今でも、ドイツ語やイギリス英語の「カルト」は、ラテン語からの意味を受け継いでいて、そんなに悪い意味はありません。ところが、アメリカ英語では、主流のキリスト教の宗派に対して、まだ小さくて、新しくてなじみのない、少し奇妙なイメージのグループのことを、「カルト」と呼んでいました。しかし、「人民寺院」の集団自殺事件など、宗教団体が絡んでいる様々な事件が起きるようになった20年ほど前から、特に人間社会に対して破壊的結果 を及ぼす、悪い宗教を「カルト」と言うようになったのです。日本に入って来ているのは、悪い意味の言葉としての、アメリカ英語の「カルト」です。今現在、最も一般 的に受け入れられているカルトの定義は、1985年にアメリカで開かれた『カルト問題:学者と識者のための協議会』で採択されたものです。「カルトとは、ある人間か、観念か、物に対して、過度の忠誠心・献身を現し、非倫理的な方法で人を操作したり、高圧的な手段により人を説得したり、コントロールしたりしようとする集団、あるいは運動である。(その方法とは、友人や家族から隔離させること、衰弱させること、暗示感応性や服従心を高めるための特別 な手段の使用、グループによる強い圧力、情報統制、個性の抹消や批判的な考えの停止、グループに対する依存心やグループを離れることに対する恐怖心を助成することである。)これらの手段は、グループの指導者たちの目的を推進するためのものであり、実際に信者自身やその家族、及び社会に損害をもたらす(あるいはその可能性を秘めている)ものである。」
 この定義で特に重要視されている問題は、人間社会に破壊的結果をもたらすという点です。ですから、一つの宗教団体がカルトであるかどうかを判断するために、どんな被害が出ているかを慎重に調べる必要があります。勿論、「破壊的結果 」と、一口で言っても、様々なものがあります。家庭崩壊、人命の損失、財産の略奪、人格の荒廃などですが、このような被害が出ているという確かな証拠があるなら、ある宗教団体の実態を表すのに、「カルト」という言葉を用います。しかし、一風変わった集団を軽蔑するために、あるいは、ライバルのイメージを落とすために、カルト呼ばわりをしてはいけません。人間社会に破壊的結果 をもたらしているかどうか、これがポイントなのです。

質問
人はなぜ、カルトに走ってしまうのでしょうか。

答え
カルト教団は、次のような巧みな言葉をもって、人々を誘います。
 「あなたは、一人で聖書を読んでも分からないでしょう。世の中に沢山の宗教があって、どれを信じたら良いか、判断が難しいんですよねー。また、今、悪がはびこっている世の中で、幸せな人生を見いだすことなど、ほとんど不可能だと思いませんか。しかし、私たちのグループには、神から特別 に選ばれた人(人々)がいます。彼(彼ら)は、神の代弁者(預言者、忠実なしもべ、神の用いる唯一の伝達の経路)として、聖書を正しく解釈できるし、生きていくための知恵を知っているし、世の中の様々な問題の解決策を持っています。ですから、彼(彼ら)から教えを受けて、従っていけば、間違いなく幸せになれます。救われます。自分で考えたり、悩んだりする必要はありません。神のしもべに従えば良いのです。」
 これは、自信のない若者や、子育てなどで悩む主婦や、挫折しているサラリーマンにとっては、非常に魅力的な言葉です。それはまず、第一に、その言葉によって、心の平安を得ることができるからです。世の中が複雑になり、洪水のように情報が氾濫している中で、多くの人々は不安を覚えています。何を信じたらよいか、分かりません。多くの現代人にとっては、自分で考えて判断し、自分の人生に対して自分で責任を持つということは、とても苦手なことなのです。ですから、権威をもって単純な説明や回答を示してくれる宗教団体には、彼らは非常に弱いのです。神の権威を主張して、「これが絶対に正しい」と宣言する宗教団体があれば、その言葉に飛び付くのです。自分で考える苦悩を省くこともできるし、安心感を覚えることもできるからです。
 次に、人々は、カルトの誘いの言葉に、生き甲斐を見いだします。カルト教団は例外なく、「世界の救い」、「地上天国」、「世の中の革命」等の大きな目標を掲げます。そこで、信者はその働きに参加することにより、充実感・達成感・生き甲斐を感じるのですが、彼らの「働き」は必ず、組織の利益や拡大に直接、結び付くものです。ですから、実際のところ、彼らは組織に利用されることになりますが、彼らには、そのような認識は一かけらもありません。彼らは「神のしもべ」、「神の組織」のための奉仕だと考え、苛酷な条件のもとでどんなに働かされても、犠牲を惜しまずに、喜んで仕事をする訳です。自尊心の低い人間は、自分よりも大きなものにすがりつくことによって、自分の存在価値を見付けたり、自信を得たりします。自分の足で立って、一人で生きる自信がありませんが、大きな組織の一員として認められるなら、そこで安心感を覚え、積極的に生きていく人間に生まれ変わるのです。
 第三番目に、人々は、カルトの誘いの言葉に、愛を感じます。大家族が核家族化していく時と、核家族が個家族化していく時、宗教ブームが起こると言われています。なぜなら、本来あるべき、家族の交わりがなくなるからです。近くに親戚 が住んでいないために、寂しさを覚える。同じ屋根の下に住んでいても、皆自分の部屋を持っていて、じっくり話し合いをする場がない。お父さんの帰りがいつも遅い。顔を合わせることがあっても、怒ってばかりいる。お母さんも、うるさい小言ばかりを言う。このような状況の中で育つ人間は、愛に対する飢え渇きを覚えます。親密な、生き生きとした共同体を求めるようになるのです。自分を認めてくれ、自分の悩み事をしみじみ聞いてくれ、愛情を注いでくれる共同体です。現代人のニーズを知り尽くしているカルト教団は、強力な伝道の武器として、「ラブ・シャワー」というマインド・コントロールのテクニックを用います。組織に対して関心を示す人に愛情を注ぐのです。何時間もかけて、相手の話を聞いてあげます。食事を作ったり、家の掃除を手伝ったりしてあげます。引っ越しをすることになれば、信者が十人単位 で手伝いに行きます。言うまでもなく、このような「ラブ・シャワー」を受ける者は、大きな感動を覚えます。と同時に、「これほど愛を実践している宗教団体は他にない」と確信するのですが、本人に分からないのは、この「ラブ・シャワー」には条件が付いているということです。その条件とは、組織に対する絶対的服従です。つまり、組織の教えをすべて受け入れ、素直に従っていけば、大事にされますが、組織に対して疑問を抱いたり、その教えに反発したりすると、その「ラブ・シャワー」はぴたっと止まってしまうのです。そこで、「不従順な人」は悩むことになり、重大な決断を迫られることになります。自分の良心を守って真理や真実を徹底的に追求するか、自分の思いを圧し殺して組織に盲従するかです。残念ながら、愛された経験の乏しい現代人は、仲間として認められ、「ラブ・シャワー」を受け続けるために、組織につき従う道を選ぶことが多いのです。

質問
僕は5年半、ある宗教団体に属していましたが、途中で『何か、おかしい』と感じて、実家に帰りました。教団にいる間、献身者として奉仕をしていました。リーダーの指導の下で、厳しい訓練を受けて、『従順』を徹底的に学ばせられました。先生の指示どおりに、朝から晩まで働いて、それなりに充実した毎日でしたが、先生に相談してからでないと何も決められない自分がいるということに気付いて、段々と疑問を持つようになりました。一種の怖さも感じました。そこで、実家に帰って、普通 の生活に戻ろうとしたのですが、外に出ると、突然、怖くなったり、楽しいことをしていても先生がそばにいて、僕のことを監視しているように思えてきて、罪責感を覚えたりするのです。教団を離れているのに、どうして、こういうことが続くのでしょうか。僕は何か、おかしいのでしょうか。

答え
カルト教団は、人の心をコントロールする(操作する)ために、必ず、「恐怖心」という名の武器を使います。まず、「あなたは未熟で、何も分からない。特別 に神に近い霊的指導者の助けが必要だ」と、徹底的に教え込み、自信を無くさせ、リーダーに依存させます。そこで信者は、徐々に自分で物事を考えたり、判断したり、決断したりしなくなり、上からの指示によって動くロボット的存在と化してしまいます。更に、こうしたコントロールを強化するために、「あなたがこのグループを出たら(指導者を裏切ったら)、神から見捨てられて滅びる。一人で生きていくことは絶対に不可能だ。不幸になるだけだ」と脅されます。この心に植え付けられた恐怖心は、ちょうど柵のような役割を果 たします。つまり、カルトから出られないようにするのです。また、結局、脱会することに成功した人がいても、長期にわたって恐怖心と戦うことになる訳です。

この恐怖心を克服するために必要なのは、まず、「あなたはグループのリーダーに頼らなくても一人で立派に生きていける」という励ましです。「あなたには素晴らしい可能性がある。大丈夫だ。積極的に人生にチャレンジしてみなさい。」周りの人々から、以上のような言葉をかけてもらえるなら、不安が減少します。健全な意味での自信、良いセルフ・イメージが生まれますが、残念ながら、それだけの理解や愛情のある人がそばにいるとは限りません。しかし、協力的な人間がいなかったとしても、問題を乗り越える方法があります。それは、聖書のみことばによって、神との個人的な関係を築くことです。

聖書は、神から人間への慰めや励ましのメッセージで満ち溢れています。例えば、イザヤ書四一章一〇節には、こうあります。

「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」

また、四三章四節、7節は、次のように述べています。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」

これらの聖句が示しているように、神は人間を愛し、人間の人生のために素晴らしいご計画を持っておられます。さらに、そのご計画が実現するように、人を強め、助け、導き、守ってくださるのです。自分が神に愛されていること、神の大きなご計画の中で生かされていること、神からの賜物(才能)を与えられていることを知ると、心の恐れや不安は、確信や希望に変わります。大切なのは、人間の言葉(カルトの脅し、周りから下された否定的な評価)よりも、神の約束をしっかりと受け止めて、信じることです。