真理のみことば伝道協会

カルト宗教被害者の皆様の問題解決のお手伝いをさせて頂いております。

聖書のミニメッセージ

出生率の低下という難問

2013年10月28日(月)

 先日、人口統計学に基づいた衝撃的なドキュメンタリー映画を見ました。それによると、一つの民族が存続するためには、あるいは一つの文化が維持されるためには、どうしてもある一定の出生率が必要だそうです。2・11という出生率です。出生率とは、一人の女性が一生のうちで産む子供の平均的人数を指しています。つまり、2・11人の子どもを生まなければ、その民族なり、文化は間違いなく衰退していく、ということです。
更に、歴史的に見て、1・9まで出生率が下がったグループが2・11の出生率を取り戻した例がありません。また、そのドキュメンタリーによると、1・3まで下がったなら、ほぼ絶望的な状況に陥るそうです。人口を回復させるためには80―100年かかるのですが、その間、グループを支えられるだけの経済体制は存在し得ないというのです。2007年の時点で、フランスの出生率は1・8、イギリスは1・6、ギリシヤは1・3、ドイツも1・3、イタリヤは1・2、スペインは1・1となっています。ヨーロッパの31の国の平均的出生率は1・38です。
この数字から判断すると、古代からのヨーロッパ文化は、これから衰退の一途をたどっていくことになります。しかし、人口が減っている訳ではありません。むしろ、増えています。それは、移民による増加です。おもに、イスラム教徒の移民です。フランスに住むイスラム教の女性の出生率は、8・1です。2027年までに、フランス人の5分の1はイスラム教徒になっているだろうと推測されています。そして、2047年までに、イスラム共和国に生まれ変わるというのです。既に、フランスの南部において、教会の数よりも、モスクの数の方が多くなっています。フランスという国がなくなることはないのですが、こうして、フランス古来の、キリスト教に基づいた文化が全く別のものに変わってしまうのです。このパターンは今後、ヨーロッパの各国において現われていきます。
また、日本も決して例外ではありません。厚生労働省の発表によると、2012年の時点で、日本の出生率は1・41です。このまま少子化問題が深刻化し、超高齢化が進むと、必然的に、労働者の数が足りなくなる。その穴を埋めるために、外国からの労働者を受け入れなければならない。言うまでもなく、彼らは、彼ら独自の言語、文化、宗教を持ち込む。ですから、20―30年のうちに、日本も大きく変わり、様々な難題を抱えるようになるはずですが、このことを考える時に、子孫を残すことの重要性を痛感させられます。また、創世記の聖句を思わずにはいられません。

 「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ』」(1章27―28節)。

 この単純明快な命令には、神の計り知れない深い知恵があります。人類の繁栄と幸せのための命令です。しかし、多くの現代人は、聖書的な家族観はもう古い、時代遅れだと言って、「家族」の新しい定義を暗中模索していますが、その愚かな試みによって自分に重大な結果を招いていることに気づくのは、いつでしょうか。

ある少女の祈り

2013年8月30日(金)

先月、私の親戚がメールで送ってくれた話ですが、アフリカのコンゴ共和国の病院で働いていたアメリカ人宣教師のお医者さんの証しです。ある若い女性が難産で、病院に運ばれて来ました。しかし、お医者さんの懸命な努力の甲斐もなく、女性は亡くなってしまいました。しかも、未熟児で生まれた赤ちゃんもとても危険な状態でした。保育器など、ありません。特に心配なのは、夜、気温が急激に下がった時です。コンゴは赤道直下にある国で、日中はとても暑いのですが、夜はかなり冷えます。とりあえず、お医者さんは病院にあったゴムで出来たたった一つの湯たんぽを使って、赤ちゃんを温めようと考えました。ところが、お湯を入れた途端、古くなっていた湯たんぽは破れてしまいました。仕方なく、その夜は焚き火をして、毛布で赤ちゃんをぐるぐる巻きにして、何とか赤ちゃんの命を守りました。
次の朝、お医者はいつものように、近くの孤児院を訪ねました。そして、子どもたちに、湯たんぽもなくて赤ちゃんの命が危ないこと、またその赤ちゃんの2歳のお姉さんがお母さんを亡くした悲しみでずっと泣いていることを話しました。そのことについて、皆で祈ろう、ということになりました。その時です。一人の10歳の女の子が、こう祈りました。
「神様、今日、湯たんぽを送ってください。明日では、間に合いません。今日、送ってもらわないと、困ります。またついでに、赤ちゃんのお姉さんを慰めるために、人形を送ってください。」
お医者はその率直な祈りに感動しながらも、なかなか「アーメン」とは言えませんでした。人間的に考えて、その祈りが答えられる可能性がないことが分かっていたからです。必要なものが与えられる可能性があるとすれば、母国の教会から支援物資として送られて来ることですが、アフリカに来て4年経っても、今までそのようなプレゼントが届いたことは一度もありません。仮に、誰かが支援物資を送ったとしても、その中に、湯たんぽを入れるはずもありません。赤道直下にある国だからです。しかし、奇跡が起きました。その日の午後、母国からの大きな箱が届きました。最初に、孤児たちのための洋服が出て来ました。また、病院の患者さんたちのための包帯も出て来ました。そして、次に、何と、湯たんぽが出て来たのです。お医者さんは泣き崩れました。最後に、箱の底に、包装紙に包まれた物が残っていました。箱から出さなくても、何であるか、分かりました。やはり、人形だったのです。
聖書の中に、祈りに関する約束が多く書かれています。

「求めなさい。そうすれば与えられます」(マタイ7・7)。
「あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます」(マタイ21・22)。
「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう」(エレミヤ33・3)。

どれも素晴らしい約束ですが、問題は、素直な信仰をもって、これらの約束を受け入れることができるかどうか、ということです。大人になると、私たちは素直さを失って、ひねくれた考え方に陥ってしまうことがあります。「私の祈りなど聞かれるはずがない」とか、「人間は自分で努力して問題を解決すべきであって、祈りという安易な手段に頼るべきではない」とかいうような考えを持つ訳ですが、一見して、成熟した大人の、バランスの取れた考え方のように見えるかも知れません。しかし、その背後には、様々な人生の傷や、人間のプライドが隠されています。そして、私たちはその頑なな心の故に、大きな損をしています。神の約束は真実です。素直な気持ちで、お祈りをすれば、私たちの理解を越えた大いなる事が起きます。大人のプライドを捨てて、あなたも祈ってみませんか。

 大学受験予備校の東進ハイスクールのコマーシャルの中で、林修先生の発した言葉が大変なブームを引き起こしています。
「じゃ、いつやるか?今でしょ!」
 高校生に対する、塾への誘いの言葉ですが、いつの間にか、人に行動を促すために、色々な所で使われるようになっています。「もたもたせずに、やるべきことを今すぐ、実行しなさい」というような意味になるかと思いますが、私たちは人生の中で、度々、そのような助言を必要としていると言えるかも知れません。
 先日、インターネットで「人生の冬期」という記事を読みました。人生の冬季とは、つまり高齢期のことですが、冬期に突入した人間は、様々な衰えを覚える中で、出来なくなることが多くなります。そこで、「若い時に、まだ元気だったうちに、ああすればよかった、こうすればよかった」という後悔の念に駆られる、というのです。筆者の結論は、「やりたいことがあれば、今、出来るうちに、やりなさい」ということです。まさ、「じゃ、いつやるか?今でしょ!」と同じ進言です。
聖書にも、似たような教えがあります。

「神は言われます。『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」(2コリント6章2節)。

 時々、「クリスチャンになるのは、死ぬ直前が良い」と話す人がいます。確かに、キリストと共に十字架につけられた強盗のように(ルカの福音書23章39―43節参照)、土壇場になって悔い改めるケースもありますが、強盗の場合、たまたまキリストに初めて出会ったのは死ぬ直前で、彼はそのチャンスを逃しませんでした。一方、何度も福音を聞いておきながら、「後で信じよう」と思って、信仰の決心を後伸ばしにしている人は、危険な賭けをしていると言わざるを得ません。突然の事故や、急に襲った病気(心筋梗塞など)によって命を落とすこともあります。死ぬ前に、じっくりと自分と神との関係について考える時間があるとは限らないのです。また、救いを受ける決心を後伸ばしにすればするほど、心がマヒして、やがて救いの招きに応じられなくなってしまう可能性もあるのです。ですから、聖書が述べているように、私たちは今、信じるべきです。
 また、次のような聖句もあります。

「あなたの手に善を行なう力があるとき、求める者に、それを拒むな。あなたに財産があるときに、あなたの隣人に向かい、『去って、また来なさい。あす、あげよう』と言うな。」(箴言3章27―28節)。

 人のために、何かしてあげたいと思っているのに、なかなか、その思いを実行に移さないことが何と多いことでしょうか。勿論、いくらでも言い訳ができるでしょう。疲れているとか、時間がないとか、恥ずかしいとか、誤解されてしまうかも知れないとかいうようなことですが、あれこれ考えているうちに、チャンスがなくなってしまうことがあります。
 今、出来るうちに、家族の者に、「感謝しているよ」、「愛しているよ」と言葉をかけましょう。困っている人に、助けの手を差し伸べましょう。悩む者の叫びに、真摯に耳を傾けましょう。こうして、人生の冬期に、悔いのないようにしましょう。

北朝鮮ミサイル危機に思うこと

2013年4月30日(火)

 北朝鮮のミサイル発射や核実験に関する脅迫が毎日のように報道されている中で、多くの人々が不安を覚えていることでしょう。私も、ニュースを見ていると、6歳の時の記憶がよみがえって来ます。1962年のキューバ・ミサイル危機の時です。キューバをアメリカの侵略から守るという名目で、ソ連が核弾道ミサイルをキューバに運んで、その発射台を設置しようとしているところを、アメリカの偵察機に発見されて、大騒ぎになりました。1週間、アメリカとソ連との危険な駆け引きが続きました。どちらの国も、核戦争の臨時態勢に入りました。当時、アメリカとソ連を直接、結ぶ電話線が敷かれていませんでした。相手が何を考えているか分からない状況の中で、アメリカの偵察機が誤ってソ連の領空を侵したり、アメリカの海軍が核兵器を積んだソ連の潜水艦を追い詰めたりして、いつ核戦争が起こってもおかしくない、緊迫した状態が一日、続きました。結局、ソ連が妥協して、キューバからミサイルを撤去しましたが、本当に危機一髪でした。私は当時、6歳でしたが、父が家の地下に防空壕を造る話をしていたことを、はっきりと覚えています。
 今の北朝鮮に対して、各国は脅しに乗らないようにしています。アメリカも、挑発的行為が続いても、毅然とした態度を崩しておらず、北朝鮮をなだめるために話し合いを求めたりしません。テロには一切、妥協しないという、その姿勢は正しいと言えるでしょう。しかし、相手がカルト国家であることを忘れてはなりません。カルト的な思想や権力構造には、一般常識は通用しません。カルトには、独自の世界観・価値観・行動パターンがあります。また、カルトの世界の中で生きている者は、命懸けで(自暴自棄になって)その信念を貫こうとします。そこで、全く想定外の反応が返って来ることもあります。ですから、各国の首脳がそのことを踏まえて、思慮深く対応しなければ、取り返しのつかない事態も起こり得るのです。
 キューバ・ミサイル危機の時に、ケネディー大統領は真剣に祈って、神からの知恵を求めたと言われています。「こんな時に祈って、何になるのか」と考える人もいるかも知れませんが、創造者なる神は、世界の統治者として、人類の歴史を導いておられると、聖書は述べています。また、ご自身の計画に反する人間の勝手な行動を許さない、とも書かれています。

 「まことに、主が仰せられると、そのようになり、主が命じられると、それは堅く立つ。主は国々のはかりごとを無効にし、国々の民の計画をむなしくされる。主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代々に至る」(詩篇33:9-11)。

 「わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言う」(イザヤ46:10)。

 この世界が創造者なる神の御手の中にあることを覚える時、心が平安になります。明日、何が起こるか分かりませんが、みこころがなるように祈っていきましょう。

100兆ドル紙幣が物語る悲劇

2013年3月8日(金)

 先日、私の手元に、100兆ドルの紙幣が届きました。ある国が実際に発行して、使用していたものです。その国とは、アフリカのジンバブエです。ジンバブエ・ドルは2007年に世界で最も価値の低い通貨ワースト5の一つとなり、国はその対応策として急きょ、1億の額面のジンバブエ・ドル札を発行しましたが、その後、通貨の価値が更に下がり、ついに2008年の末には100兆ドルの紙幣が登場しました。年間インフレ率は約2億3000万パーセントに達したのです。
 かつては農業、鉱業、工業のバランスの取れた経済を有する国家として、「アフリカの穀物庫」と呼ばれていたジンバブエですが、2013年1月の時点で、国庫金の残高がたったの217ドル(約2万円)になっています。いったい、ジンバブエの経済を駄目にしたのは、何でしょうか。1965年まで続いた植民地時代、白人農場主が国土の90パーセントを所有していました。彼らは農業の技術を生かして、小麦などの作物の生産性を高め、国は農業国として繁栄しました。しかし、その一方、国の繁栄を支えていたのは、低賃金で過酷な労働使役についていた黒人です。彼らは国の繁栄の恩恵を受けることなく、貧困に喘いでいました。段々と白人支配に対する不満が募り、1960年代から黒人による独立運動が始まります。1980年につい白人政権が打倒され、黒人国家が樹立されます。初代首相として選ばれたロバート・ムガベは、初めは黒人と白人との融和政策を進めましたが、2000年8月から白人所有大農場の強制収用を政策化し、協同農場で働く黒人農民に再分配しますが、その結果、白人地主が持っていた農業技術が失われ、食糧危機や極度のインフレが発生した訳です。しかも、ジンバブエの救世主と期待されていたムガベ氏は、段々と独裁者としての正体を現わすようになりました。言論の統制や、厳しい報道規制などの強権的な政策を打ち出していきました。また、2008年3月に行なわれた大統領選において、野党勢力に敗北しましたが、選挙終了後も長期にわたって選挙結果を公表せず、野党勢力に徹底した弾圧を加えました。更に、国民の700万人が飢餓状態であっても、常に超豪華生活を楽しんでいるのです。
 カルトにおいてもよく見られるパターンですが、偉大なリーダーとして崇められている人間が、実は、自分の懐を肥やすために人々を奴隷にし、その財産を巻き上げてしまいます。イエス・キリストも、そのような人間について、こう述べています。
 「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます」(マルコ10:42)。
 この世の指導者の特徴は、人々を支配することと、権力をふるうことだとキリストは言われますが、確かに、多くの国や、カルト教団における悲しい現実です。これに対して、聖書的な指導者は、全く違う性質を現わします。
 「しかし、あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです」(マルコ10:43-45)。
 世界の各国において、また各宗教団体において、このような指導者が起こされれば、人間社会がどんなに大きく変わるでしょうか。