真理のみことば伝道協会

カルト宗教被害者の皆様の問題解決のお手伝いをさせて頂いております。

聖書のミニメッセージ

アメリカの中西部、特にオハイオ―州とペンシルバニア州にアーミッシュというクリスチャンのコミュニティがあります。ドイツ系移民の宗教団体ですが、移民当時の生活様式を保持し、農耕や牧畜によって自給自足の生活を営んでいます。昔の生活様式を守るために電気を使用せず、現代の一般的な通信機器も家庭にはありません。移動手段は馬車です。服装も極めて質素です。基本的に大家族主義であり、一つのコミュニティは深く互助的な関係で結ばれています。新しい家を建てる時には親戚・隣近所が集まって取り組みます。また、独自のコミュニティを築きながら、外部の人に対しても協力したり、農作物を分け与えたりしています。とにかく、平和を愛するとても優しい集団ですが、7年前に、ペンシルバニア州にあるアーミッシュのコミュニティで悲劇が起きました。拳銃を持った男がアーミッシュの学校に入って5人の児童を射殺し、その直後に自殺をしました。
アーミッシュの人々だけでなく、犯人の奥さんとその家族も筆舌に尽くしがたいほどの衝撃を受けました。それは、事前にその犯行の兆候が何一つ見られなかったからです。奥さんのマリー・モンヴィル氏は出版されたばかりの本(”One Light Still Shines”:『一つの光はなお輝いている』)の中で、当時の状況を詳細に記しています。彼女はまだ20代の方で、3人の小さい子どもがいましたが、まさか穏やかな性格を持った自分の夫がそのようなひどいことをするとは夢にも思わなかったそうです。ですから、警察からいきなり電話がかかって来た時に、ショックの余り、放心状態になりました。数時間後に、彼女の家に、子どもを殺された父親たち5人が、やって来ました。彼女はますます、パニックに陥りましたが、いきなり、アーミッシュの男性たちに言われました。
「私たちは、あなたのご主人を赦しました。あなたを助けるために、私たちに何か、できることはありませんか。」
その言葉でどんなに心が癒されたか分からないと、マリーさんは述べています。
本の中で、もう一つ、アーミッシュの人間常識を越えたエピソードが紹介されています。マリーさんは事件後、約1週間、親族にかくまわれて、また警察の協力を得て、マスコミの襲撃から守られましたが、夫の葬儀と埋葬式のために、どうしても外に出なければなりませんでした。自分と子どもたちの写真が全国の新聞や週刊誌に掲載されることを恐れながら、車に乗りました。埋葬式が行われることになっていた墓地に着くと、やはり、カメラを持って、多数の報道人が待ち構えていました。マリーさんは覚悟を決めて、子どもたちと一緒に車を降りようとしました。その瞬間です。突然、どこからともなく大勢のアーミッシュの人々が現われて、マリーさんの一族と報道人との間に壁を作ったのです。そのために、新聞等に写真が載ったのは、異常な行動を取ったアーミッシュの人々だけでしたが、実は、アーミッシュは宗教上の理由で、写真を撮られることを極端に嫌う人々です。彼らは、モーセの十戒に含まれる「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない」という言葉を厳守するのですが、マリーさんの家族を守るために、自らの戒律を破った訳です。
私はこの話を読んで、深い感激を覚え、涙が出ました。アーミッシュこそ、キリストの愛を実践した人々だと、心底、思ったのですが、結果的には、学校で起きた惨事よりも、アーミッシュの事件後の不可解な行動が世界中のマスコミで大きく取り上げられることになったのです。そして、アーミッシュを通して、キリストの愛を知るようになった人々も多くいたことでしょう。
「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」(ローマ5章6―8節)。

出生率の低下という難問

2013年10月28日(月)

 先日、人口統計学に基づいた衝撃的なドキュメンタリー映画を見ました。それによると、一つの民族が存続するためには、あるいは一つの文化が維持されるためには、どうしてもある一定の出生率が必要だそうです。2・11という出生率です。出生率とは、一人の女性が一生のうちで産む子供の平均的人数を指しています。つまり、2・11人の子どもを生まなければ、その民族なり、文化は間違いなく衰退していく、ということです。
更に、歴史的に見て、1・9まで出生率が下がったグループが2・11の出生率を取り戻した例がありません。また、そのドキュメンタリーによると、1・3まで下がったなら、ほぼ絶望的な状況に陥るそうです。人口を回復させるためには80―100年かかるのですが、その間、グループを支えられるだけの経済体制は存在し得ないというのです。2007年の時点で、フランスの出生率は1・8、イギリスは1・6、ギリシヤは1・3、ドイツも1・3、イタリヤは1・2、スペインは1・1となっています。ヨーロッパの31の国の平均的出生率は1・38です。
この数字から判断すると、古代からのヨーロッパ文化は、これから衰退の一途をたどっていくことになります。しかし、人口が減っている訳ではありません。むしろ、増えています。それは、移民による増加です。おもに、イスラム教徒の移民です。フランスに住むイスラム教の女性の出生率は、8・1です。2027年までに、フランス人の5分の1はイスラム教徒になっているだろうと推測されています。そして、2047年までに、イスラム共和国に生まれ変わるというのです。既に、フランスの南部において、教会の数よりも、モスクの数の方が多くなっています。フランスという国がなくなることはないのですが、こうして、フランス古来の、キリスト教に基づいた文化が全く別のものに変わってしまうのです。このパターンは今後、ヨーロッパの各国において現われていきます。
また、日本も決して例外ではありません。厚生労働省の発表によると、2012年の時点で、日本の出生率は1・41です。このまま少子化問題が深刻化し、超高齢化が進むと、必然的に、労働者の数が足りなくなる。その穴を埋めるために、外国からの労働者を受け入れなければならない。言うまでもなく、彼らは、彼ら独自の言語、文化、宗教を持ち込む。ですから、20―30年のうちに、日本も大きく変わり、様々な難題を抱えるようになるはずですが、このことを考える時に、子孫を残すことの重要性を痛感させられます。また、創世記の聖句を思わずにはいられません。

 「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ』」(1章27―28節)。

 この単純明快な命令には、神の計り知れない深い知恵があります。人類の繁栄と幸せのための命令です。しかし、多くの現代人は、聖書的な家族観はもう古い、時代遅れだと言って、「家族」の新しい定義を暗中模索していますが、その愚かな試みによって自分に重大な結果を招いていることに気づくのは、いつでしょうか。

ある少女の祈り

2013年8月30日(金)

先月、私の親戚がメールで送ってくれた話ですが、アフリカのコンゴ共和国の病院で働いていたアメリカ人宣教師のお医者さんの証しです。ある若い女性が難産で、病院に運ばれて来ました。しかし、お医者さんの懸命な努力の甲斐もなく、女性は亡くなってしまいました。しかも、未熟児で生まれた赤ちゃんもとても危険な状態でした。保育器など、ありません。特に心配なのは、夜、気温が急激に下がった時です。コンゴは赤道直下にある国で、日中はとても暑いのですが、夜はかなり冷えます。とりあえず、お医者さんは病院にあったゴムで出来たたった一つの湯たんぽを使って、赤ちゃんを温めようと考えました。ところが、お湯を入れた途端、古くなっていた湯たんぽは破れてしまいました。仕方なく、その夜は焚き火をして、毛布で赤ちゃんをぐるぐる巻きにして、何とか赤ちゃんの命を守りました。
次の朝、お医者はいつものように、近くの孤児院を訪ねました。そして、子どもたちに、湯たんぽもなくて赤ちゃんの命が危ないこと、またその赤ちゃんの2歳のお姉さんがお母さんを亡くした悲しみでずっと泣いていることを話しました。そのことについて、皆で祈ろう、ということになりました。その時です。一人の10歳の女の子が、こう祈りました。
「神様、今日、湯たんぽを送ってください。明日では、間に合いません。今日、送ってもらわないと、困ります。またついでに、赤ちゃんのお姉さんを慰めるために、人形を送ってください。」
お医者はその率直な祈りに感動しながらも、なかなか「アーメン」とは言えませんでした。人間的に考えて、その祈りが答えられる可能性がないことが分かっていたからです。必要なものが与えられる可能性があるとすれば、母国の教会から支援物資として送られて来ることですが、アフリカに来て4年経っても、今までそのようなプレゼントが届いたことは一度もありません。仮に、誰かが支援物資を送ったとしても、その中に、湯たんぽを入れるはずもありません。赤道直下にある国だからです。しかし、奇跡が起きました。その日の午後、母国からの大きな箱が届きました。最初に、孤児たちのための洋服が出て来ました。また、病院の患者さんたちのための包帯も出て来ました。そして、次に、何と、湯たんぽが出て来たのです。お医者さんは泣き崩れました。最後に、箱の底に、包装紙に包まれた物が残っていました。箱から出さなくても、何であるか、分かりました。やはり、人形だったのです。
聖書の中に、祈りに関する約束が多く書かれています。

「求めなさい。そうすれば与えられます」(マタイ7・7)。
「あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます」(マタイ21・22)。
「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう」(エレミヤ33・3)。

どれも素晴らしい約束ですが、問題は、素直な信仰をもって、これらの約束を受け入れることができるかどうか、ということです。大人になると、私たちは素直さを失って、ひねくれた考え方に陥ってしまうことがあります。「私の祈りなど聞かれるはずがない」とか、「人間は自分で努力して問題を解決すべきであって、祈りという安易な手段に頼るべきではない」とかいうような考えを持つ訳ですが、一見して、成熟した大人の、バランスの取れた考え方のように見えるかも知れません。しかし、その背後には、様々な人生の傷や、人間のプライドが隠されています。そして、私たちはその頑なな心の故に、大きな損をしています。神の約束は真実です。素直な気持ちで、お祈りをすれば、私たちの理解を越えた大いなる事が起きます。大人のプライドを捨てて、あなたも祈ってみませんか。

 大学受験予備校の東進ハイスクールのコマーシャルの中で、林修先生の発した言葉が大変なブームを引き起こしています。
「じゃ、いつやるか?今でしょ!」
 高校生に対する、塾への誘いの言葉ですが、いつの間にか、人に行動を促すために、色々な所で使われるようになっています。「もたもたせずに、やるべきことを今すぐ、実行しなさい」というような意味になるかと思いますが、私たちは人生の中で、度々、そのような助言を必要としていると言えるかも知れません。
 先日、インターネットで「人生の冬期」という記事を読みました。人生の冬季とは、つまり高齢期のことですが、冬期に突入した人間は、様々な衰えを覚える中で、出来なくなることが多くなります。そこで、「若い時に、まだ元気だったうちに、ああすればよかった、こうすればよかった」という後悔の念に駆られる、というのです。筆者の結論は、「やりたいことがあれば、今、出来るうちに、やりなさい」ということです。まさ、「じゃ、いつやるか?今でしょ!」と同じ進言です。
聖書にも、似たような教えがあります。

「神は言われます。『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」(2コリント6章2節)。

 時々、「クリスチャンになるのは、死ぬ直前が良い」と話す人がいます。確かに、キリストと共に十字架につけられた強盗のように(ルカの福音書23章39―43節参照)、土壇場になって悔い改めるケースもありますが、強盗の場合、たまたまキリストに初めて出会ったのは死ぬ直前で、彼はそのチャンスを逃しませんでした。一方、何度も福音を聞いておきながら、「後で信じよう」と思って、信仰の決心を後伸ばしにしている人は、危険な賭けをしていると言わざるを得ません。突然の事故や、急に襲った病気(心筋梗塞など)によって命を落とすこともあります。死ぬ前に、じっくりと自分と神との関係について考える時間があるとは限らないのです。また、救いを受ける決心を後伸ばしにすればするほど、心がマヒして、やがて救いの招きに応じられなくなってしまう可能性もあるのです。ですから、聖書が述べているように、私たちは今、信じるべきです。
 また、次のような聖句もあります。

「あなたの手に善を行なう力があるとき、求める者に、それを拒むな。あなたに財産があるときに、あなたの隣人に向かい、『去って、また来なさい。あす、あげよう』と言うな。」(箴言3章27―28節)。

 人のために、何かしてあげたいと思っているのに、なかなか、その思いを実行に移さないことが何と多いことでしょうか。勿論、いくらでも言い訳ができるでしょう。疲れているとか、時間がないとか、恥ずかしいとか、誤解されてしまうかも知れないとかいうようなことですが、あれこれ考えているうちに、チャンスがなくなってしまうことがあります。
 今、出来るうちに、家族の者に、「感謝しているよ」、「愛しているよ」と言葉をかけましょう。困っている人に、助けの手を差し伸べましょう。悩む者の叫びに、真摯に耳を傾けましょう。こうして、人生の冬期に、悔いのないようにしましょう。

北朝鮮ミサイル危機に思うこと

2013年4月30日(火)

 北朝鮮のミサイル発射や核実験に関する脅迫が毎日のように報道されている中で、多くの人々が不安を覚えていることでしょう。私も、ニュースを見ていると、6歳の時の記憶がよみがえって来ます。1962年のキューバ・ミサイル危機の時です。キューバをアメリカの侵略から守るという名目で、ソ連が核弾道ミサイルをキューバに運んで、その発射台を設置しようとしているところを、アメリカの偵察機に発見されて、大騒ぎになりました。1週間、アメリカとソ連との危険な駆け引きが続きました。どちらの国も、核戦争の臨時態勢に入りました。当時、アメリカとソ連を直接、結ぶ電話線が敷かれていませんでした。相手が何を考えているか分からない状況の中で、アメリカの偵察機が誤ってソ連の領空を侵したり、アメリカの海軍が核兵器を積んだソ連の潜水艦を追い詰めたりして、いつ核戦争が起こってもおかしくない、緊迫した状態が一日、続きました。結局、ソ連が妥協して、キューバからミサイルを撤去しましたが、本当に危機一髪でした。私は当時、6歳でしたが、父が家の地下に防空壕を造る話をしていたことを、はっきりと覚えています。
 今の北朝鮮に対して、各国は脅しに乗らないようにしています。アメリカも、挑発的行為が続いても、毅然とした態度を崩しておらず、北朝鮮をなだめるために話し合いを求めたりしません。テロには一切、妥協しないという、その姿勢は正しいと言えるでしょう。しかし、相手がカルト国家であることを忘れてはなりません。カルト的な思想や権力構造には、一般常識は通用しません。カルトには、独自の世界観・価値観・行動パターンがあります。また、カルトの世界の中で生きている者は、命懸けで(自暴自棄になって)その信念を貫こうとします。そこで、全く想定外の反応が返って来ることもあります。ですから、各国の首脳がそのことを踏まえて、思慮深く対応しなければ、取り返しのつかない事態も起こり得るのです。
 キューバ・ミサイル危機の時に、ケネディー大統領は真剣に祈って、神からの知恵を求めたと言われています。「こんな時に祈って、何になるのか」と考える人もいるかも知れませんが、創造者なる神は、世界の統治者として、人類の歴史を導いておられると、聖書は述べています。また、ご自身の計画に反する人間の勝手な行動を許さない、とも書かれています。

 「まことに、主が仰せられると、そのようになり、主が命じられると、それは堅く立つ。主は国々のはかりごとを無効にし、国々の民の計画をむなしくされる。主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代々に至る」(詩篇33:9-11)。

 「わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言う」(イザヤ46:10)。

 この世界が創造者なる神の御手の中にあることを覚える時、心が平安になります。明日、何が起こるか分かりませんが、みこころがなるように祈っていきましょう。