真理のみことば伝道協会

カルト宗教被害者の皆様の問題解決のお手伝いをさせて頂いております。

聖書のミニメッセージ

北朝鮮ミサイル危機に思うこと

2013年4月30日(火)

 北朝鮮のミサイル発射や核実験に関する脅迫が毎日のように報道されている中で、多くの人々が不安を覚えていることでしょう。私も、ニュースを見ていると、6歳の時の記憶がよみがえって来ます。1962年のキューバ・ミサイル危機の時です。キューバをアメリカの侵略から守るという名目で、ソ連が核弾道ミサイルをキューバに運んで、その発射台を設置しようとしているところを、アメリカの偵察機に発見されて、大騒ぎになりました。1週間、アメリカとソ連との危険な駆け引きが続きました。どちらの国も、核戦争の臨時態勢に入りました。当時、アメリカとソ連を直接、結ぶ電話線が敷かれていませんでした。相手が何を考えているか分からない状況の中で、アメリカの偵察機が誤ってソ連の領空を侵したり、アメリカの海軍が核兵器を積んだソ連の潜水艦を追い詰めたりして、いつ核戦争が起こってもおかしくない、緊迫した状態が一日、続きました。結局、ソ連が妥協して、キューバからミサイルを撤去しましたが、本当に危機一髪でした。私は当時、6歳でしたが、父が家の地下に防空壕を造る話をしていたことを、はっきりと覚えています。
 今の北朝鮮に対して、各国は脅しに乗らないようにしています。アメリカも、挑発的行為が続いても、毅然とした態度を崩しておらず、北朝鮮をなだめるために話し合いを求めたりしません。テロには一切、妥協しないという、その姿勢は正しいと言えるでしょう。しかし、相手がカルト国家であることを忘れてはなりません。カルト的な思想や権力構造には、一般常識は通用しません。カルトには、独自の世界観・価値観・行動パターンがあります。また、カルトの世界の中で生きている者は、命懸けで(自暴自棄になって)その信念を貫こうとします。そこで、全く想定外の反応が返って来ることもあります。ですから、各国の首脳がそのことを踏まえて、思慮深く対応しなければ、取り返しのつかない事態も起こり得るのです。
 キューバ・ミサイル危機の時に、ケネディー大統領は真剣に祈って、神からの知恵を求めたと言われています。「こんな時に祈って、何になるのか」と考える人もいるかも知れませんが、創造者なる神は、世界の統治者として、人類の歴史を導いておられると、聖書は述べています。また、ご自身の計画に反する人間の勝手な行動を許さない、とも書かれています。

 「まことに、主が仰せられると、そのようになり、主が命じられると、それは堅く立つ。主は国々のはかりごとを無効にし、国々の民の計画をむなしくされる。主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代々に至る」(詩篇33:9-11)。

 「わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言う」(イザヤ46:10)。

 この世界が創造者なる神の御手の中にあることを覚える時、心が平安になります。明日、何が起こるか分かりませんが、みこころがなるように祈っていきましょう。

100兆ドル紙幣が物語る悲劇

2013年3月8日(金)

 先日、私の手元に、100兆ドルの紙幣が届きました。ある国が実際に発行して、使用していたものです。その国とは、アフリカのジンバブエです。ジンバブエ・ドルは2007年に世界で最も価値の低い通貨ワースト5の一つとなり、国はその対応策として急きょ、1億の額面のジンバブエ・ドル札を発行しましたが、その後、通貨の価値が更に下がり、ついに2008年の末には100兆ドルの紙幣が登場しました。年間インフレ率は約2億3000万パーセントに達したのです。
 かつては農業、鉱業、工業のバランスの取れた経済を有する国家として、「アフリカの穀物庫」と呼ばれていたジンバブエですが、2013年1月の時点で、国庫金の残高がたったの217ドル(約2万円)になっています。いったい、ジンバブエの経済を駄目にしたのは、何でしょうか。1965年まで続いた植民地時代、白人農場主が国土の90パーセントを所有していました。彼らは農業の技術を生かして、小麦などの作物の生産性を高め、国は農業国として繁栄しました。しかし、その一方、国の繁栄を支えていたのは、低賃金で過酷な労働使役についていた黒人です。彼らは国の繁栄の恩恵を受けることなく、貧困に喘いでいました。段々と白人支配に対する不満が募り、1960年代から黒人による独立運動が始まります。1980年につい白人政権が打倒され、黒人国家が樹立されます。初代首相として選ばれたロバート・ムガベは、初めは黒人と白人との融和政策を進めましたが、2000年8月から白人所有大農場の強制収用を政策化し、協同農場で働く黒人農民に再分配しますが、その結果、白人地主が持っていた農業技術が失われ、食糧危機や極度のインフレが発生した訳です。しかも、ジンバブエの救世主と期待されていたムガベ氏は、段々と独裁者としての正体を現わすようになりました。言論の統制や、厳しい報道規制などの強権的な政策を打ち出していきました。また、2008年3月に行なわれた大統領選において、野党勢力に敗北しましたが、選挙終了後も長期にわたって選挙結果を公表せず、野党勢力に徹底した弾圧を加えました。更に、国民の700万人が飢餓状態であっても、常に超豪華生活を楽しんでいるのです。
 カルトにおいてもよく見られるパターンですが、偉大なリーダーとして崇められている人間が、実は、自分の懐を肥やすために人々を奴隷にし、その財産を巻き上げてしまいます。イエス・キリストも、そのような人間について、こう述べています。
 「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます」(マルコ10:42)。
 この世の指導者の特徴は、人々を支配することと、権力をふるうことだとキリストは言われますが、確かに、多くの国や、カルト教団における悲しい現実です。これに対して、聖書的な指導者は、全く違う性質を現わします。
 「しかし、あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです」(マルコ10:43-45)。
 世界の各国において、また各宗教団体において、このような指導者が起こされれば、人間社会がどんなに大きく変わるでしょうか。

 昨年、日本政府による沖縄県・尖閣諸島の国有化に抗議し、中国の各地で反日デモが行なわれました。その中で、暴徒の標的となった日系企業の工場やスーペー、コンビニなどの店舗は破壊され、放火によって大きな被害を受けました。デモに参加した、ある人たちは、「宣戦を布告せよ!」とか、「東京に原爆を落とせ!」とかいうような過激な言葉を叫んでいました。一時、日本製品をボイコットする動きも広がりました。今現在、鎮静化のしるしも現れているようですが、どうして、誰も住んでいない小さな島のことで、これだけの大騒ぎが起こるのでしょうか。
その理由は、44年前に行なわれた海底調査に遡ります。東シナ海の大陸棚石油資源が埋蔵されていることが明らかになったのです。推定2000億バレルという、サウジアラビアに次ぐ大量の石油埋蔵量の可能性があると言われています。この海洋調査の結果が発表されてから、中国が突然、領有権を主張し始めた訳ですが、日本政府としては、話し合いによって解決をしたいと考えています。また、日本と中国の両国において、新しい政権が誕生して、何らかの進展があるのではないかと期待されています。しかし、これだけ莫大な富がかかわっていると、そう簡単には落とし所が見つかりません。1978年の10月に、中国首脳として初めて訪日した鄧小平氏は、尖閣諸島の問題にふれて、「後の時代の人々が私たちよりも頭が良いだろうから、彼らに任せよう」という発言をしています。それだけ難しい問題なのです。もし、ある政治家が提案しているように、日本が強引に国有化を進めていくと、ますます、中国の反発を買うことになります。戦争に発展することにもなり兼ねないのです。唯一の解決法は、油田の共同開発だと思いますが、これもなかなか困難な話でしょう。日本と中国が、膨大な富を仲良く山分けにするとは想像しにくいのです。いずれにしても、お互いに自分の領有権ばかりを主張している間は、どちらのサイドも損をします。海底に眠っている石油は、誰のものにもならないのです。
愚かな人間の罪を示している話ではないでしょうか。人間は、富を得ることによって自分の幸せや安全が保証されると考えます。そこで、必死になって、富を追い求めます。必要があれば、戦います。誰が迷惑しようと、被害を受けようと、関係ありません。とにかく、富を確保できれば、あるいは富を守ることができれば、それで良いのです。こうして、人間が自分の利益ばかりを最優先している限り、戦争はなくなりません。
しかし、一方、「私の必要は十分に満たされている。私は十分な物を持っているから、満足している。安心だ。幸せだ」という実感があるなら、人と争わなくなります。では、この満足感や幸福感や心の豊かさはどこから来るのでしょうか。なかなか、この世の富や名誉によって得られるものではありません。この世のものは消え去って行く、はかないものです。しかし、永遠になくならない富もあります。それは銀行に預けるものではなく、手に持つものでもありません。イエス・キリストを信じる者の心に与えられるものなのです。
「イエスは答えて言われた。『この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、私が与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます』」(ヨハネによる福音書4章13―14節)。
「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる』」(7章:37-38節)。
イエス・キリストが与えてくださる永遠の命は、人間の霊的な渇きを完全にいやすものです。この「生ける水」を飲む者が増えれば増えるほど、人類の夢である世界平和に近付くことができるのではないでしょうか。

スペイン経済の救世主?

2012年11月9日(金)

スペインの教会の柱に描かれていた百二十年前のフレスコ画が一般信徒の手で修復されて、原画とは似ても似つかない状態になっているのが見つかり、地元で大騒ぎになっています。修復が行なわれたのは、スペイン北東部ボルハの教会にある一九世紀の画家エリアス・ガルシア・マルティネスの作品で、「この人を見よ」という絵です。茨の冠をかぶったキリストの肖像が描かれていました。修復を手掛けたのは教会員のセシリア・ヒメネスという八二歳の女性です。地元メディアの取材に対して、「司祭に頼まれたからやっただけだ」と話しています。作業は堂々とやっており、他の信者たちも見ていましたが、誰も止めようとしなかった、ということです。変わり果てたその姿に、地元に住むガルシアの孫のテレサ・ガルシアさんは、「作品が破壊されてしまった」とショックを受けています。作品を元通りにできる手段があるかどうか不明ですが、そのまま残して、観光客を引き付けるために使ったらどうか、という話も出ています。この間のテレビのニュースによると、既に、巡礼客が教会に殺到しているそうです。修復前の観光客数は十人、修復後は五千人です。教会への献金も増えています。ボルハの人口は五千人ですから、町の人口が倍になる訳で、市長さんもその経済効果に大きな期待を寄せています。もしかすると、苦しい状況にあるスペイン経済の救世主になるかも知れません。
普通に考えるなら、セシリアさんはとんでもないドジをやったということになります。取り返しのつかない失敗をしています。しかし、その大きな失敗が、教会と町の益に変えられているのです。
旧約聖書の創世記に、ヨセフという人物が登場します。彼はヤコブの十一番目の息子として誕生しましたが、兄弟たちを治める王となるという、神からの夢を与えられました。その夢の話を聞いた兄弟たちはヨセフを憎むようになり、奴隷としてエジプトに売り飛ばします。十三年間、エジプトで苦しんだヨセフですが、神の摂理によって、エジプトの総理大臣になります。その七年後に、全地が大飢饉に見舞われます。しかし、神の啓示によって災難を予知していたヨセフは、食物の蓄えをして、エジプトの国民だけでなく、カナンにいた父親、兄弟たち、またその子どもたちを救うことになるのです。ヨセフは兄弟たちに対して、こう述べています。
 「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした」(創世記五〇章二〇節)。
 聖書の中で何でも語られていることですが、神はすべてのことを働かせて、益としてくださることのできるお方です。例え、どんな失敗でも、神の計画の中で用いられることが可能になるのです。神は、私たちの傷ついた人生の絵を修復する名人です。あなたも、そのみわざを期待してください

いじめ問題を考える

2012年8月18日(土)

 大津市のいじめ事件のニュース報道を見て、ゾッとした方が多いのではないでしょうか。中学生数人が一人の子を集団リンチしたり、万引きを強要したり、自殺の練習までさせるなど、余りにも悲惨な話です。
 「いじめの四層構造」があると言われます。まず、「傍観者」がいます。見て見ぬふりをする人々です。次に、「観衆」がいます。周りで、いじめを喜んで見ているか、はやし立てる人間です。三番目に、「加害者」、実際にいじめをしている人々がいます。四番目に、「被害者」がいます。いじめをなくすためには、「各層」の問題を考え、解決しなければなりません。傍観者は、自己防衛にばかり走ることをせず、勇気をもって言うべきことが言えるようにならなければなりません。観衆は、いじめに加担している責任の重さを感じるようにならなければなりません。加害者は、いじめは許されない犯罪であることを知るべきです。そして、被害者は、自分の存在価値を再確認して、「私はこんな仕打ちに耐える必要はない!」という認識を持ち、助けを求めるべきだと言えるでしょう。
 しかし、具体的には、どんな対策を打ち出せば、いじめの件数を減らすことができるのでしょうか。京都府の教育委員会は先月、臨時教育委員会で、いじめ対策を強化する案を示しました。保護者にチェックリストを配布するなど、いじめの早期発見に重点を置いていますが、とても重要なことです。また、生徒間のトラブルを「いじめ」と認定するかは、被害生徒の立場で判断する動きも出て来ています。しかし、言うまでもなく、学校がいちばん取り組むべき問題は、生徒への教育です。命の尊厳、人としての正しい生き方や価値観や道徳などを、教員がただ教科書的に教えるのでなく、身をもって模範を示すことが重要です。また、一人一人の生徒の個性を尊重し、ユニークな才能を引き出し、彼らの存在を認めてあげることにも、大きな意味があります。いじめには様々な要因が考えられるでしょうが、その一つとして、子供にとっては、学校は競争社会です。他の子供よりも良い成績をあげて、認められようとする中で、どうしてもストレスが溜まります。自分の将来に対する不安も覚えます。そのストレスや不安が直接、いじめにつながる訳ですが、自分の親、あるいは先生からほめられ、認められ、精神的に満たされ、良いセルフ・イメージを持つようなると、クラスメートの存在価値を尊重できるようになるのです。
 イエス・キリストは次のような言葉を言われました。

 「心に満ちていることを口が話すのです。良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです」(マタイの福音書12章34-35節)。

 極めて単純な原則ですが、いじめ問題の核心をついています。心が良いもので満たされている人は、他人を罵ったり、危害を加えたりしません。しかし、自尊心が低かったり、自信がなかったり、欲求不満があったりして、心が不健全な状態にある人は、必然的にも、その苦々しい思いを人にぶつけてしまうのです。
 こうして、いじめは根の深い問題ですが、次のような聖書個所が各学校で掲げられたなら、事態が大きく変わるのではないかと思います。

 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ書43章4節)。