真理のみことば伝道協会

カルト宗教被害者の皆様の問題解決のお手伝いをさせて頂いております。

聖書のミニメッセージ

「イスラム国」の脅威

2014年10月31日(金)

 最近、イラクを拠点とする国際テロ組織「イスラム国」のことがテレビのニュースなどで取り上げられています。アルカイダ系組織の流れをくむ武装勢力です。今、イラクとシリヤで活動しており、目的はコーランの教えを厳守するイスラム国家の樹立にあります。また、世界中のイスラム教徒に対する宗教的権威を主張して、欧米の住民を殺害するように働きかけています。非常に恐ろしい話ですが、アメリカ人の間で、13年前のアルカイダによる同時多発テロ事件の恐怖がよみがえっています。
アルカイダのルーツをたどると、意外な歴史的出来事が影響していることが分かります。それは、1948年に起こったイスラエルの再興と、その後、何度も繰り返されるイスラエルとアラブ諸国との間の戦争のことです。イスラエルが奇跡的に、2000年ぶりに国として誕生し、また1956年、1967年、1973年にアラブ諸国の総攻撃を受けても、徹底的に勝利を収めたということは、アラブ諸国のイスラム教徒にとっては、言葉では言い表せないほどの衝撃を与えました。そこで、ある真面目なイスラム教徒は考えました。
「このような悲劇が起こったのは、我々に対するアラーの裁きだ。我々は欧米の影響を受け過ぎて、コーランの教えから離れ、堕落してしまった。コーランに立ち返らなければならない。コーランの教えを土台としたイスラム国家を世界中に樹立させなければならない。また、ジハードをして、そのビジョンに反対する人々をことごとく殺さなければならない。特に、イスラエルを支援する米国は、大サタンであるから、徹底的にやっつけなければならない。」
これが、いわゆるイスラム原理主義の元となった発想ですが、オサマ・ビン・ラディンなどがこれを掲げて、アルカイダなどの過激派組織を設立した訳です。テレビで何度も報道されていますが、「イスラム国」は、イギリスやフランスの記者を捕まえて殺害し、その映像をインターネットで流しています。また8月に、日本人をも拘束しています。更に、イラクの北部にいるクリスチャンに対して、凄まじいほどの迫害を行なっています。
こうして、宗教は時々、恐ろしいものになってしまう場合があります。どんな間違ったような、極端な教えであっても、神の名によって語られると、人々は神の意志だと信じて、命懸けでそれを守ります。神の喜ぶことだと思い込ませられれば、どんな極悪非道なことでも、平気でやってしまうのです。
拡大する「イスラム国」の脅威に対して、アメリカ合衆国などは空爆を続けていますが、余り効果がないようです。その一つの理由は、日本を含む世界各地から、「イスラム国」のビジョンに賛同した若者たちがどんどんイラクに集合し、「聖戦」に加わろうとしているからです。彼らは、カルトに入信する若者と同様に、人間社会に失望し、生き甲斐を求めています。ですから、今、最も必要なのは、悩む若者の不満に耳を傾け、健全な宗教のあり方を指し示すことだと言えるかも知れません。
「私の兄弟たち。あなたがたのうちに、真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を連れ戻すようなことがあれば、罪人を迷いの道から引き戻す者は、罪人のたましいを死から救い出し、また、多くの罪をおおうのだということを、あなたがたは知っていなさい」(ヤコブの手紙5章19―20節)。
私たちの周りにも、危険な思想や生き方から救われるべき若者はいないでしょうか。機会があれば、暖かい愛の手を差し伸べていきましょう。

靖国神社参拝問題の謎

2014年8月22日(金)

 昨年末に安倍首相が行なった靖国神社の電撃参拝は、中国・韓国はおろか、同盟国の米国からも批判を浴びました。今や靖国参拝問題は政治・外交における最大の火種の一つとなっています。安倍総理は今年の終戦記念日の参拝を見送りましたが、それは日中、日韓首脳会談へ向け、両国への配慮を示す狙いがあったのでしょうか。ただ、3閣僚や多くの国会議員が参拝したことに中韓両国は批判を強めており、関係改善は見通せない状況です。
 靖国神社、日本国を守護するために亡くなった戦没者を慰霊追悼するための施設、及びシンボルとされています。「国に殉じた先人に、国民の代表者が感謝し、平和を誓うのは当然のこと」という意見もある一方で、「アジヤの近隣諸国に侵略して、多数の犠牲者を出したのだから、それらの国々への配慮から、公式参拝を控えるべきではないか」という主張もあります。また、内閣総理大臣・国会議員など公職にある者が公的に靖国神社に参拝することは、日本憲法第20条が定める政教分離原則と抵触しているという見方もできます。
 こうして、靖国参拝問題は、日本人の宗教観や歴史認識と深く関わっている問題で、今後も激しい議論が続くことでしょう。しかし、中国や韓国の国民に不快感を与え、外交的な摩擦を生むこともある靖国神社への参拝に、何故、安倍総理などはこだわるのでしょうか。一体、どのような国益につながるのでしょうか。恐らく、アメリカのオバマ大統領がいちばん首を傾げるのは、このポイントなのでしょう。
 この不可解な謎に対して、一つ、考えられることは、国家の権威の維持が絡んでいるということです。政治家は、国民に対する権威を維持することを最重要課題と考えます。極力、自分(または国家)の間違いを認めず、自分が常に国民を最善に導いているというイメージを保とうとします。そして、当然のことながら、その中で独特な歴史認識を掲げます。「太平洋戦争は侵略ではなく、自衛だった」とか、「アジヤの諸国を略奪したのではなく、欧米の支配から解放した」とか、「戦死した人々は、誤った軍国主義の犠牲者ではなく、国の平和と繁栄に貢献した人々だ」という、国際社会に通用しない論理を繰り広げます。
 言うまでもなく、人をコントロールすることを目的とした権威主義は、カルト教団においても見られます。絶対的な存在とされるカルトの教祖は、自分への無条件の服従を信者に強要します。信者の利益や人権などは二の次で、教祖の計画・ビジョン・願望が最優先されるのです。
 このような権威主義に対して、イエス・キリストはサーバント・リーダー(しもべ的指導者)の概念を語っておられます。
 「そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。『あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。しかし、あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。人のことが来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです』」(マルコの福音書10章42―45節)。
 ここにあるように、真の指導者は、権力をふるうことをせず、人々に仕える者です。自分の願望ではなく、人々の必要を優先する者です。そのような指導者こそ、真の意味で、人々の信用や尊敬を勝ち取るのです。

最も幸運なオリンピック選手

2014年2月20日(木)

 ソチ・オリンピックは、様々な人間ドラマを繰り広げながら、無事に閉幕しました。前予想通りにメダルを獲得できた人、実力を十分に出せなかった人、また幸運な状況によって想定外の優勝を果たした選手もいましたが、「幸運」と言えば、誰もが思い出すのは、12年前のソルトレークシティ・オリンピックの男子ショートトラックスピードスケート1000メートルにおいて金メダルを獲得したオーストラリア人スティーブン・ブラッドバリー選手でしょう。
 1回戦は、たまたま同じ組の対戦相手にブラッドバリーよりも飛び抜けて速い選手がいなかったため接戦となり、なんとか混戦を制して準々決勝に進むことができました。準々決勝はアボロ・アントン・オーノなど優勝候補らと同じ組となりました。ブラッドバリーは実力差のゆえに中盤から最下位(4位)に後退し、追走する状況となりますが、最終コーナー直前、田村直也とマーク・カニヨンが接触し、田村がコーナーに大きくコースアウトして壁にぶつかり転倒したため、ブラッドバリーは3位でゴール。準々決勝では、上位二人しか準決勝に進出できないため、本来ならブラッドバリーはここで敗退するところでした。しかし、審判が田村とガニヨンの接触について、「ガニヨンが田村を妨害した」と判断し、2位でゴールしていたガニヨンが失格となります。それによって、繰り上げでブラッドバリーはが2位となり、準決勝に進みます。準決勝では、スタートから優勝候補者たちの先頭集団に遅れを取り、終始、最下位(5位)で追走するレース展開になりましたが、残り半周付近で金東聖が転倒し、更に最終コーナーを曲がり終える直前には李佳軍とマシュー・ターコットがそれぞれ転倒。ゴール直前に計3人が転倒したことによりブラッドバリーは2位でゴールし、決勝進出を果たします。決勝では、準決勝よりも大きく先頭集団に遅れを取り、レースの終盤まで最下位(5位)で追走する状況となります。レース後のインタビューで、ブラッドバリーは「体中が痛くて先頭集団のペースに到底ついて行けないことが分かっていたから、わざと、離れて、前の人が転倒することを期待していた。それしか作戦が立てられなかった」と話していましたが、驚くことに、彼の期待通りのことが起きました。ゴール直前の最終コーナーで前を走っていた4人の選手が互いに接触し合い、全員、転倒したために、一人後方にいて難を逃れたブラッドバリーが4人を抜き、1位でゴールし、金メダルを獲得したのです。南半球の国にもたらされた、初めての冬季オリンピック金メダルでした。「棚からぼたもち」とは、まさにこのことを言うのでしょう。今でも、オーストラリアでは、人々は予想外の幸運な出来事を「ブラッドバリー」と呼びます。
 聖書の中にも、「ブラッドバリー的」な出来事を経験した人として、使徒パウロがいます。パウロはキリスト教会を迫害した人物ですが、イエス・キリストとの劇的な出会いによって人生が全く変えられます。

 「私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる資格のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました」(1コリント15:9-10)

 ここで、パウロは自分の身に起こったことを表現するのに、「恵み」という言葉を使っています。聖書の重要なキーワードの一つですが、受ける資格のない者に一方的に与えられる神のご好意を意味します。オーストラリア人なら、「ブラッドバリー」という言葉を使うかも知れませんが、神の恵みはラッキーな人にでなく、求めるすべての人に与えられるものです。

 「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近付こうではありませんか」(ヘブル4:16)。

 あなたにも、「ブラッドバリー的」なことが起こりますように。

アメリカの中西部、特にオハイオ―州とペンシルバニア州にアーミッシュというクリスチャンのコミュニティがあります。ドイツ系移民の宗教団体ですが、移民当時の生活様式を保持し、農耕や牧畜によって自給自足の生活を営んでいます。昔の生活様式を守るために電気を使用せず、現代の一般的な通信機器も家庭にはありません。移動手段は馬車です。服装も極めて質素です。基本的に大家族主義であり、一つのコミュニティは深く互助的な関係で結ばれています。新しい家を建てる時には親戚・隣近所が集まって取り組みます。また、独自のコミュニティを築きながら、外部の人に対しても協力したり、農作物を分け与えたりしています。とにかく、平和を愛するとても優しい集団ですが、7年前に、ペンシルバニア州にあるアーミッシュのコミュニティで悲劇が起きました。拳銃を持った男がアーミッシュの学校に入って5人の児童を射殺し、その直後に自殺をしました。
アーミッシュの人々だけでなく、犯人の奥さんとその家族も筆舌に尽くしがたいほどの衝撃を受けました。それは、事前にその犯行の兆候が何一つ見られなかったからです。奥さんのマリー・モンヴィル氏は出版されたばかりの本(”One Light Still Shines”:『一つの光はなお輝いている』)の中で、当時の状況を詳細に記しています。彼女はまだ20代の方で、3人の小さい子どもがいましたが、まさか穏やかな性格を持った自分の夫がそのようなひどいことをするとは夢にも思わなかったそうです。ですから、警察からいきなり電話がかかって来た時に、ショックの余り、放心状態になりました。数時間後に、彼女の家に、子どもを殺された父親たち5人が、やって来ました。彼女はますます、パニックに陥りましたが、いきなり、アーミッシュの男性たちに言われました。
「私たちは、あなたのご主人を赦しました。あなたを助けるために、私たちに何か、できることはありませんか。」
その言葉でどんなに心が癒されたか分からないと、マリーさんは述べています。
本の中で、もう一つ、アーミッシュの人間常識を越えたエピソードが紹介されています。マリーさんは事件後、約1週間、親族にかくまわれて、また警察の協力を得て、マスコミの襲撃から守られましたが、夫の葬儀と埋葬式のために、どうしても外に出なければなりませんでした。自分と子どもたちの写真が全国の新聞や週刊誌に掲載されることを恐れながら、車に乗りました。埋葬式が行われることになっていた墓地に着くと、やはり、カメラを持って、多数の報道人が待ち構えていました。マリーさんは覚悟を決めて、子どもたちと一緒に車を降りようとしました。その瞬間です。突然、どこからともなく大勢のアーミッシュの人々が現われて、マリーさんの一族と報道人との間に壁を作ったのです。そのために、新聞等に写真が載ったのは、異常な行動を取ったアーミッシュの人々だけでしたが、実は、アーミッシュは宗教上の理由で、写真を撮られることを極端に嫌う人々です。彼らは、モーセの十戒に含まれる「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない」という言葉を厳守するのですが、マリーさんの家族を守るために、自らの戒律を破った訳です。
私はこの話を読んで、深い感激を覚え、涙が出ました。アーミッシュこそ、キリストの愛を実践した人々だと、心底、思ったのですが、結果的には、学校で起きた惨事よりも、アーミッシュの事件後の不可解な行動が世界中のマスコミで大きく取り上げられることになったのです。そして、アーミッシュを通して、キリストの愛を知るようになった人々も多くいたことでしょう。
「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」(ローマ5章6―8節)。

出生率の低下という難問

2013年10月28日(月)

 先日、人口統計学に基づいた衝撃的なドキュメンタリー映画を見ました。それによると、一つの民族が存続するためには、あるいは一つの文化が維持されるためには、どうしてもある一定の出生率が必要だそうです。2・11という出生率です。出生率とは、一人の女性が一生のうちで産む子供の平均的人数を指しています。つまり、2・11人の子どもを生まなければ、その民族なり、文化は間違いなく衰退していく、ということです。
更に、歴史的に見て、1・9まで出生率が下がったグループが2・11の出生率を取り戻した例がありません。また、そのドキュメンタリーによると、1・3まで下がったなら、ほぼ絶望的な状況に陥るそうです。人口を回復させるためには80―100年かかるのですが、その間、グループを支えられるだけの経済体制は存在し得ないというのです。2007年の時点で、フランスの出生率は1・8、イギリスは1・6、ギリシヤは1・3、ドイツも1・3、イタリヤは1・2、スペインは1・1となっています。ヨーロッパの31の国の平均的出生率は1・38です。
この数字から判断すると、古代からのヨーロッパ文化は、これから衰退の一途をたどっていくことになります。しかし、人口が減っている訳ではありません。むしろ、増えています。それは、移民による増加です。おもに、イスラム教徒の移民です。フランスに住むイスラム教の女性の出生率は、8・1です。2027年までに、フランス人の5分の1はイスラム教徒になっているだろうと推測されています。そして、2047年までに、イスラム共和国に生まれ変わるというのです。既に、フランスの南部において、教会の数よりも、モスクの数の方が多くなっています。フランスという国がなくなることはないのですが、こうして、フランス古来の、キリスト教に基づいた文化が全く別のものに変わってしまうのです。このパターンは今後、ヨーロッパの各国において現われていきます。
また、日本も決して例外ではありません。厚生労働省の発表によると、2012年の時点で、日本の出生率は1・41です。このまま少子化問題が深刻化し、超高齢化が進むと、必然的に、労働者の数が足りなくなる。その穴を埋めるために、外国からの労働者を受け入れなければならない。言うまでもなく、彼らは、彼ら独自の言語、文化、宗教を持ち込む。ですから、20―30年のうちに、日本も大きく変わり、様々な難題を抱えるようになるはずですが、このことを考える時に、子孫を残すことの重要性を痛感させられます。また、創世記の聖句を思わずにはいられません。

 「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ』」(1章27―28節)。

 この単純明快な命令には、神の計り知れない深い知恵があります。人類の繁栄と幸せのための命令です。しかし、多くの現代人は、聖書的な家族観はもう古い、時代遅れだと言って、「家族」の新しい定義を暗中模索していますが、その愚かな試みによって自分に重大な結果を招いていることに気づくのは、いつでしょうか。