真理のみことば伝道協会

カルト宗教被害者の皆様の問題解決のお手伝いをさせて頂いております。

聖書のミニメッセージ

ベーブ・ルースと戦争

2015年8月20日(木)

 先日、甲子園で行われた全国高校野球大会において、素晴らしい活躍を見せた清宮幸太郎くん。まだ1年生であるのに、早稲田実業の3番バッターとして、チームをベストフォーに導きました。清宮くんは日本のみならず、海外のメディアからも注目されて、「和製ベーブ・ルース」と呼ばれています。確かに、そのバッティングの迫力には、ベーブ・ルースを思わせるものがあります。明るい性格も、また、顔つきまでもが似ていると言えるかも知れません。
 御周知のように、ベーブ・ルースはニューヨーク・ヤンキースなどのチームの主力打者として714本ものホームランを打った人で、アメリカ人にとっては、まさに伝説的な人物です。彼は一度だけ、他の大リーガーたちと一緒に来日したことがあります。1934年の話です。アメリカと日本は、その時点で既に、かなり緊張した関係になっていましたが、日本の国民はベーブ・ルースを熱烈に歓迎して、どこの野球場でも「ベーブ・ルース万歳!」と叫んでいました。余りの歓迎ぶりだったので、当時のアメリカ大使は、「戦争になることは絶対にないだろう」とルーズベルト大統領に報告をしています。しかし、残念ながら、7年後に状況が一変しました。ちなみに、フィリピンなどで日本兵が死の突撃を行う際、「ベーブ・ルース、地獄に落ちろ!」(ゴー・トゥ・ヘル)と英語で叫んでいたということです。
 8月15日に、終戦70周年を迎えた日本。国民の大多数が反対する中で、「戦争法案」とも呼ばれる安保法案が可決されようとしている今、真の平和とは何か、真剣に考えなければなりません。一言で言えば、平和とは争いのない状態を意味しますが、個人的な喧嘩にしても、国家間の戦争にしても、その根本にあるのは、自分の利益の最優先、自分だけが正しいという主張、そして相手は生きる資格のない極悪人であるという思い込みです。戦場に送られる兵士の教育は、相手国の人間を徹底的に憎むことから始まります。相手を憎まなければ、殺せないからです。
 こうしたことを考えると、戦争をなくすための最も重要なことは、他国の人間との交流だと言えるのではないでしょうか。相手を知りさえすれば、相手に対する偏見や先入観は必ず、なくなります。しかし、他国人との交流が禁じられ、他国から発せられる情報が統制されるような事態になると、再び、醜い裁き合い、憎み合いが始まるのです。「ベーブ・ルース、万歳!」の叫びが、「ベーブ・ルース、地獄に落ちろ!」に変わってしまうのです。
 「和製ベーブ・ルース」の野球選手としての今後の活躍が注目されますが、私は、彼が野球を通じて、日本と諸外国との架け橋になってくれることを期待したいと思います。
 「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです」(マタイの福音書5章9節)。
 イエス・キリストの有名な言葉ですが、平和をつくる者は、正確な情報を集めて、人と人との間の誤解を取り除く人です。偏見を持たず、自ら人に近づき、その人の真意を確かめる人です。違う意見の人を尊重する人です。家庭の平和、職場の平和、国家間の平和のために、私たちにどんなことができるのでしょうか。

「ライザップ」のコマーシャル

2015年6月26日(金)

 私はテレビコマーシャルが余り好きではなくて、普通、何かの番組を見ていても、コマーシャルになるとすぐに音を消したりすることが多いのですが、一つだけ、「凄いなー」と感心してしまうコマーシャルがあります。ライザップという会社(プライベート・ジム)のコマーシャルです。最初に、少しぽっちゃり系の女性がさえない表情をしながら、ビキニ姿で登場します。そして次の瞬間、ライザップで2カ月間のトレーニング(50万円もかかるそうです)を終えた彼女が映ります。もう、別人のようです。モデル雑誌にでも写真が載りそうな感じの女性に生まれ変わっています。次に、おなかが相当、出っ張っている30代の男性が登場します。誰が見ても、カッコ悪い男です。しかし、彼も驚くべき変身を遂げています。同じ人だとは思えないほど、筋肉モリモリの体で再登場するのです。
別に、ライザップに頼まれて宣伝している訳ではありませんが、コマーシャルを見る度に、考えさせられます。人間が自分に対して一つのイメージをもって、そのイメージ通りになろうと努力する時に、驚くほどの変身を遂げられる、ということです。
アルゼンチンの有名なサッカー選手にリオネル・メッシがいます。数々のスーパー・プレーで「マラドーナ2世」と呼ばれていますが、10歳の頃、成長ホルモンの分泌異常の症状が発覚して、成長ホルモン投与などの高額な治療なしでは身体が発達しないと診断されました。14歳の時点で、彼の身長は、まだ143センチしかなく、それ以上、伸びる見込みはありませんでした。しかし、メッシ少年は、自分が世界の大舞台で活躍する一流のサッカー選手になるためにこの世に生れた人間だというビジョンを抱き続けて、練習に励みました。2001年に、スペインのFCバルセロナのユースチームの入団テストを受けます。当時の監督カルロス・レシャックは、彼のプレーを一目見ただけで、その小さな身体に驚くべき才能と将来性が宿っていることを悟り、すぐさま合格を決めます。更に、FCバルセロナは、治療費を全額負担することを約束したのです。結局、ユースチームで治療とトレーニングを続けた結果、身長は169センチまで伸び、選手としても一流のテクニックを披露するまでに成長した、ということです。
ライザップのコマーシャルに出る人々や、メッシ選手の他にも、自らの努力によって変身を遂げた人が沢山いますが、確かに、自分にどのようなイメージを抱くか、自分のためにどのような将来像を描くかによって、人生は大きく変わると言えるのではないでしょうか。しかし、残念ながら、多くの現代人は極めて低いセルフ・イメージを持っています。過去の傷などの影響で、「私は駄目な人間だ」とすっかり思い込んでしまい、自分の将来に対する夢が描けずにいますが、聖書の中に、自尊心が低下している人々向けのメッセージがあります。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ書43章4節)。

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っている・・・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ書29章11節)。

カルロス・レシャック監督がメッシの秘められた才能を認めたように、父なる神も私たちに素晴らしい可能性があると見てくださいます。問題は、私たち自身が同じように自覚しているかどうかということです。また、ライザップに通う人々が自らをパーソナル・トレーナーに委ねるように、私たちも、神の力強い御手に身を委ねるなら、きっと素晴らしい変化を遂げるでしょう。

イザベラ・バードの話

2015年4月27日(月)

 イザベラ・バードという名前を聞いたことがあるでしょうか。イザベラ・バードは19世紀の女性旅行家、また紀行作家として、世界中の人々に驚きと感動を与えた人物です。明治時代に東北地方や北海道、関西地方を旅行し、その旅行記”Unbeaten Tracks in Japan”(日本語題『日本奥地紀行』)を書きましたが、当時、女性が一人で外国を旅するということは、非常識極まりない話とされていました。しかし、好奇心旺盛なイザベラ・バードは、何のためらいもなく、外国人が足を踏み入れたことのない、未知の世界へと突進して行ったのです。
 日本における冒険は、1878年6月に始まりました。最初に横浜に立ち寄った彼女は、早速、東京を起点に日光から新潟に抜け、日本海側から北海道に至る旅を計画します。通訳兼従者として伊藤鶴吉という青年を雇って、日本在住の外交官や宣教師の反対を振り切り、出発しますが、『日本奥地紀行』の冒頭に「私の全行程を踏破した欧米人はこれまでに一人もいなかった」と記し、また「西洋人のよく出かける所は、日光を例外として詳しくは述べなかった」と記して、その旅に対する意気込み、また意味を説明しています。更に、出発前に、片言の日本語を覚えると共に、日本人の礼儀作法を学び、旅先で失礼のないようにしようと、心に堅く誓ったのです。
 予想通り、どこへ行っても注目され、珍しがられ、サインを求められ、寝ている間も旅館の部屋の障子の穴に絶えず、人間の目がありました。また、ある宿屋での出来事ですが、せき込むご主人の子供に咳止めの薬を飲ませてあげたところ、見事に治ってしまったので、次の朝、村中の病人が群がって来て、「私たちの病気も治してください」と、せがまれました。通訳者を通して、自分は医者ではないし、持っている薬の種類もごく限られていることを説明し、何とか人々を納得させましたが、日本人との様々な出会いの中で、日本人に対して、良い印象を持ったようです。『日本奥地紀行』の中で、次のように記しています。
 「私はそれから奥地や北海道を1900キロにわたって旅したが、全く安全で、しかも心配もなかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にも遭わず、全く安全に旅行できる国はないと信じている。」
 こうして、無謀とも言えるイザベラ・バードの旅によって、日本人の外国人に対する理解も生まれたし、外国人の日本人に対する偏見もいくらか、なくなってきたとも言えます。
 聖フランシスコの有名な祈りとして、「平和の祈り」があります。
 「私をあなたの平和の道具として用いてください。憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところに赦しを、分裂のあるところに一致を、疑いのあるところに信仰を、誤っているところに真理を、絶望のあるところに希望を、闇に光を、悲しみのあるところに喜びをもたらす者としてください。」
 敬虔なクリスチャンであったイザベラ・バードも、同じような思いで、日本中を旅したようです。彼女はまさに、キリストの言われたような、「平和をつくる者」でした。
 「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです」(マタイによる福音書5章9節)。
 凶悪事件が後を絶たない今日この頃ですが、平和をつくる者の数が少しでも増えれば、人間社会に対する影響は決して、小さくないと思います。

820万戸もの空き家

2015年3月3日(火)

 総務省統計局の資料によると、日本には、820万戸もの空き家があるそうです。5年前に比べ、63万戸(8.3%)の増加です。この問題で頭を抱えている政府は、空き家を放置し、活用していない人に対して、通常の6倍の固定資産税を課することに決めました。果たして、社会問題化している状況が変わるのでしょうか。
 しかし、何故、これだけ空き家の数が激増しているのでしょうか。何年か前に、自分の家を売却しようとした時のことを思い出します。近くの不動産屋さんに査定を頼みました。すると、ビックリ仰天するような安い価格を提示されました。その理由を尋ねたところ、「10年、経過しているので、建てた時より建物の価値が半分になります」と言われたのです。
私たちはきちんと家の手入れをしていたし、その話に納得できないので、「どうして、そうなるのですか」と質問しました。すると、相手は、「不動産査定表」らしき物を見せながら、表情一つ変えずに、「日本では、こういうことになっています」と言うのです。私はその言葉にひどく、腹が立ちました。別に傷んだ所がどこにもないのに、高いお金を出して購入した家なのに、ただ10年経過しているというだけの理由で、「半額になります」という話にどうしても納得がいかないので、「どうして、そのような不条理な話がまかり通るのですか」と更に質問しました。不動産屋さんはしばらく黙ってから、苦し紛れに、「今度、購入される方の気に入った間取りではないかも知れません」と言います。「では、一般的に受け入れられるような、使いやすい間取りであれば、価格はさほど、下がらないのですね」と言うと、返事はありませんでしたが、最後に、「日本特有の住宅事情があると思います。湿気も多いし、地震もあります」と言いました。そこで、私は一段と怒りの度が増して、こう反論しました。
 「アメリカにも湿気の多い地域もあるし、地震の起きる場所もありますが、だからといって建築してから10年後に家の査定額が半減するという話を聞いたことがありません。そんなのは屁理屈です。」
 私の話が相当、応えたのか、不動産屋さんは慌てて、帰る支度を始めました。そして、帰り際に、ポツンと、こう漏らしたのです。
 「まぁ、日本の建設業界の利益が最優先されているということでしょうね。」
 私はその言葉を、彼の本音と受け止めました。「20年経過したから、あなたの家には何の価値もありません」と言われれば、人は「じゃ、そろそろ建て直そうか」と考える。そうすれば、建設業界が儲かる。欧米の国々のように、50年も100年も同じ家に住まれては困る。このような思惑だったような気がしますが、日本の経済が振るわない中で、数10年ごとに家を再建したり、大幅なリフォームをしたりできる人はそういないのではないでしょうか。また、「建築20年以上の家には価値がない」と洗脳されている人々は、古い家に関心を示さずに、「新しい物のほうが良い」と考えるかも知れません。いずれにしても、820万戸の空き家は、深刻な社会問題です。
 「彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。彼らが建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない。わたしの民の寿命は、木の寿命に
等しく、わたしの選んだ者は、自分の手で作った物を存分に用いることができるからだ。彼らはむだに労することもなく、子を産んで、突然その子が死ぬこともない。彼らは主に祝福された者のすえであり、その子孫たちは彼らとともにいるからだ」(イザヤ書65章21―23節)。
 千年王国の様子を描いている聖句ですが、将来、神の約束が必ず実現することを信じて、不動産屋さんを赦すことにしました。

この道しかない

2015年1月6日(火)

 先月、行なわれた選挙の時に、何度も目にしたり、耳にしたりした言葉、「この道しかない」。安倍首相が自分の景気対策への支持を訴えるために掲げた、とても分かりやすいスローガンですが、安倍首相の自信(信念)の強さを表していると言えます。また、判断に迷っている人々の心を動かすための心理的なテクニックだと考えることもできます。
 カルト化した宗教団体においても、「教祖」とされている人間は、しばしば、信者たちに対して宣言します。
 「この道しかない。私に従うのでなければ、救われることはない。何も考えずに、黙って、私について来なさい。」
 自信のない人間にとっては、非常に力強く聞こえる言葉です。また、ある種の希望や生き甲斐を与えるものでもありますが、問題は、どこまでその言葉を信用できるか、ということです。安倍首相にしても、あるいはカルト教団の指導者にしても、彼らはあくまでも人間です。嘘をつくこともあるし、自分の語ったことを実現できないこともある、弱い人間です。ですから、私たちは社会生活を送るうえで、それなりの分別力・識別力が求められています。勿論、人間不信に陥ることも問題ですが、相手の言葉を鵜呑みにせず、自分でよく考えて、念入りに調べ、判断しなければなりません。物事を判断するプロセスの中で、まず重要なのは、はっきりとした信念、あるいは価値観を持つことです。クリスチャンの場合、その信念は聖書に基づいています。
 「どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。・・・・・・あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました」(詩篇119:9,11)。
 人間の言葉と違って、聖書は絶対的な信頼に値します。それは、神のみことばであるからです。聖書の神は、必ず、ご自分の約束を守られるお方です。
 もう一つ、物事を判断する時に大事なのは、神の導きを祈り求めることです。私たちは日常生活の中で、聖書が直接、言及していない問題に突き当たることが多々あります。就職、住居、結婚などですが、神のみこころがなるように祈る時に、不思議に、「この道しかない」という確信に至らせていただけます。
 「たとい主があなたがたに、乏しいパンとわずかな水とを賜っても、あなたの教師はもう隠れることなく、あなたの目はあなたの教師を見続けよう。あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから『これが道だ。これに歩め。』と言うことばを聞く」(イザヤ書30:20-21)。
 今年も、きっと想定外の出来事が多数、起こるでしょう。難しい判断を迫られることもあるかも知れませんが、神の守りと導きの中で、「この道しかない」という絶対的な確信が持てる人は、幸いです。