真理のみことば伝道協会

カルト宗教被害者の皆様の問題解決のお手伝いをさせて頂いております。

聖書のミニメッセージ

イザベラ・バードの話

2015年4月27日(月)

 イザベラ・バードという名前を聞いたことがあるでしょうか。イザベラ・バードは19世紀の女性旅行家、また紀行作家として、世界中の人々に驚きと感動を与えた人物です。明治時代に東北地方や北海道、関西地方を旅行し、その旅行記”Unbeaten Tracks in Japan”(日本語題『日本奥地紀行』)を書きましたが、当時、女性が一人で外国を旅するということは、非常識極まりない話とされていました。しかし、好奇心旺盛なイザベラ・バードは、何のためらいもなく、外国人が足を踏み入れたことのない、未知の世界へと突進して行ったのです。
 日本における冒険は、1878年6月に始まりました。最初に横浜に立ち寄った彼女は、早速、東京を起点に日光から新潟に抜け、日本海側から北海道に至る旅を計画します。通訳兼従者として伊藤鶴吉という青年を雇って、日本在住の外交官や宣教師の反対を振り切り、出発しますが、『日本奥地紀行』の冒頭に「私の全行程を踏破した欧米人はこれまでに一人もいなかった」と記し、また「西洋人のよく出かける所は、日光を例外として詳しくは述べなかった」と記して、その旅に対する意気込み、また意味を説明しています。更に、出発前に、片言の日本語を覚えると共に、日本人の礼儀作法を学び、旅先で失礼のないようにしようと、心に堅く誓ったのです。
 予想通り、どこへ行っても注目され、珍しがられ、サインを求められ、寝ている間も旅館の部屋の障子の穴に絶えず、人間の目がありました。また、ある宿屋での出来事ですが、せき込むご主人の子供に咳止めの薬を飲ませてあげたところ、見事に治ってしまったので、次の朝、村中の病人が群がって来て、「私たちの病気も治してください」と、せがまれました。通訳者を通して、自分は医者ではないし、持っている薬の種類もごく限られていることを説明し、何とか人々を納得させましたが、日本人との様々な出会いの中で、日本人に対して、良い印象を持ったようです。『日本奥地紀行』の中で、次のように記しています。
 「私はそれから奥地や北海道を1900キロにわたって旅したが、全く安全で、しかも心配もなかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にも遭わず、全く安全に旅行できる国はないと信じている。」
 こうして、無謀とも言えるイザベラ・バードの旅によって、日本人の外国人に対する理解も生まれたし、外国人の日本人に対する偏見もいくらか、なくなってきたとも言えます。
 聖フランシスコの有名な祈りとして、「平和の祈り」があります。
 「私をあなたの平和の道具として用いてください。憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところに赦しを、分裂のあるところに一致を、疑いのあるところに信仰を、誤っているところに真理を、絶望のあるところに希望を、闇に光を、悲しみのあるところに喜びをもたらす者としてください。」
 敬虔なクリスチャンであったイザベラ・バードも、同じような思いで、日本中を旅したようです。彼女はまさに、キリストの言われたような、「平和をつくる者」でした。
 「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです」(マタイによる福音書5章9節)。
 凶悪事件が後を絶たない今日この頃ですが、平和をつくる者の数が少しでも増えれば、人間社会に対する影響は決して、小さくないと思います。

820万戸もの空き家

2015年3月3日(火)

 総務省統計局の資料によると、日本には、820万戸もの空き家があるそうです。5年前に比べ、63万戸(8.3%)の増加です。この問題で頭を抱えている政府は、空き家を放置し、活用していない人に対して、通常の6倍の固定資産税を課することに決めました。果たして、社会問題化している状況が変わるのでしょうか。
 しかし、何故、これだけ空き家の数が激増しているのでしょうか。何年か前に、自分の家を売却しようとした時のことを思い出します。近くの不動産屋さんに査定を頼みました。すると、ビックリ仰天するような安い価格を提示されました。その理由を尋ねたところ、「10年、経過しているので、建てた時より建物の価値が半分になります」と言われたのです。
私たちはきちんと家の手入れをしていたし、その話に納得できないので、「どうして、そうなるのですか」と質問しました。すると、相手は、「不動産査定表」らしき物を見せながら、表情一つ変えずに、「日本では、こういうことになっています」と言うのです。私はその言葉にひどく、腹が立ちました。別に傷んだ所がどこにもないのに、高いお金を出して購入した家なのに、ただ10年経過しているというだけの理由で、「半額になります」という話にどうしても納得がいかないので、「どうして、そのような不条理な話がまかり通るのですか」と更に質問しました。不動産屋さんはしばらく黙ってから、苦し紛れに、「今度、購入される方の気に入った間取りではないかも知れません」と言います。「では、一般的に受け入れられるような、使いやすい間取りであれば、価格はさほど、下がらないのですね」と言うと、返事はありませんでしたが、最後に、「日本特有の住宅事情があると思います。湿気も多いし、地震もあります」と言いました。そこで、私は一段と怒りの度が増して、こう反論しました。
 「アメリカにも湿気の多い地域もあるし、地震の起きる場所もありますが、だからといって建築してから10年後に家の査定額が半減するという話を聞いたことがありません。そんなのは屁理屈です。」
 私の話が相当、応えたのか、不動産屋さんは慌てて、帰る支度を始めました。そして、帰り際に、ポツンと、こう漏らしたのです。
 「まぁ、日本の建設業界の利益が最優先されているということでしょうね。」
 私はその言葉を、彼の本音と受け止めました。「20年経過したから、あなたの家には何の価値もありません」と言われれば、人は「じゃ、そろそろ建て直そうか」と考える。そうすれば、建設業界が儲かる。欧米の国々のように、50年も100年も同じ家に住まれては困る。このような思惑だったような気がしますが、日本の経済が振るわない中で、数10年ごとに家を再建したり、大幅なリフォームをしたりできる人はそういないのではないでしょうか。また、「建築20年以上の家には価値がない」と洗脳されている人々は、古い家に関心を示さずに、「新しい物のほうが良い」と考えるかも知れません。いずれにしても、820万戸の空き家は、深刻な社会問題です。
 「彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。彼らが建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない。わたしの民の寿命は、木の寿命に
等しく、わたしの選んだ者は、自分の手で作った物を存分に用いることができるからだ。彼らはむだに労することもなく、子を産んで、突然その子が死ぬこともない。彼らは主に祝福された者のすえであり、その子孫たちは彼らとともにいるからだ」(イザヤ書65章21―23節)。
 千年王国の様子を描いている聖句ですが、将来、神の約束が必ず実現することを信じて、不動産屋さんを赦すことにしました。

この道しかない

2015年1月6日(火)

 先月、行なわれた選挙の時に、何度も目にしたり、耳にしたりした言葉、「この道しかない」。安倍首相が自分の景気対策への支持を訴えるために掲げた、とても分かりやすいスローガンですが、安倍首相の自信(信念)の強さを表していると言えます。また、判断に迷っている人々の心を動かすための心理的なテクニックだと考えることもできます。
 カルト化した宗教団体においても、「教祖」とされている人間は、しばしば、信者たちに対して宣言します。
 「この道しかない。私に従うのでなければ、救われることはない。何も考えずに、黙って、私について来なさい。」
 自信のない人間にとっては、非常に力強く聞こえる言葉です。また、ある種の希望や生き甲斐を与えるものでもありますが、問題は、どこまでその言葉を信用できるか、ということです。安倍首相にしても、あるいはカルト教団の指導者にしても、彼らはあくまでも人間です。嘘をつくこともあるし、自分の語ったことを実現できないこともある、弱い人間です。ですから、私たちは社会生活を送るうえで、それなりの分別力・識別力が求められています。勿論、人間不信に陥ることも問題ですが、相手の言葉を鵜呑みにせず、自分でよく考えて、念入りに調べ、判断しなければなりません。物事を判断するプロセスの中で、まず重要なのは、はっきりとした信念、あるいは価値観を持つことです。クリスチャンの場合、その信念は聖書に基づいています。
 「どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。・・・・・・あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました」(詩篇119:9,11)。
 人間の言葉と違って、聖書は絶対的な信頼に値します。それは、神のみことばであるからです。聖書の神は、必ず、ご自分の約束を守られるお方です。
 もう一つ、物事を判断する時に大事なのは、神の導きを祈り求めることです。私たちは日常生活の中で、聖書が直接、言及していない問題に突き当たることが多々あります。就職、住居、結婚などですが、神のみこころがなるように祈る時に、不思議に、「この道しかない」という確信に至らせていただけます。
 「たとい主があなたがたに、乏しいパンとわずかな水とを賜っても、あなたの教師はもう隠れることなく、あなたの目はあなたの教師を見続けよう。あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから『これが道だ。これに歩め。』と言うことばを聞く」(イザヤ書30:20-21)。
 今年も、きっと想定外の出来事が多数、起こるでしょう。難しい判断を迫られることもあるかも知れませんが、神の守りと導きの中で、「この道しかない」という絶対的な確信が持てる人は、幸いです。

「イスラム国」の脅威

2014年10月31日(金)

 最近、イラクを拠点とする国際テロ組織「イスラム国」のことがテレビのニュースなどで取り上げられています。アルカイダ系組織の流れをくむ武装勢力です。今、イラクとシリヤで活動しており、目的はコーランの教えを厳守するイスラム国家の樹立にあります。また、世界中のイスラム教徒に対する宗教的権威を主張して、欧米の住民を殺害するように働きかけています。非常に恐ろしい話ですが、アメリカ人の間で、13年前のアルカイダによる同時多発テロ事件の恐怖がよみがえっています。
アルカイダのルーツをたどると、意外な歴史的出来事が影響していることが分かります。それは、1948年に起こったイスラエルの再興と、その後、何度も繰り返されるイスラエルとアラブ諸国との間の戦争のことです。イスラエルが奇跡的に、2000年ぶりに国として誕生し、また1956年、1967年、1973年にアラブ諸国の総攻撃を受けても、徹底的に勝利を収めたということは、アラブ諸国のイスラム教徒にとっては、言葉では言い表せないほどの衝撃を与えました。そこで、ある真面目なイスラム教徒は考えました。
「このような悲劇が起こったのは、我々に対するアラーの裁きだ。我々は欧米の影響を受け過ぎて、コーランの教えから離れ、堕落してしまった。コーランに立ち返らなければならない。コーランの教えを土台としたイスラム国家を世界中に樹立させなければならない。また、ジハードをして、そのビジョンに反対する人々をことごとく殺さなければならない。特に、イスラエルを支援する米国は、大サタンであるから、徹底的にやっつけなければならない。」
これが、いわゆるイスラム原理主義の元となった発想ですが、オサマ・ビン・ラディンなどがこれを掲げて、アルカイダなどの過激派組織を設立した訳です。テレビで何度も報道されていますが、「イスラム国」は、イギリスやフランスの記者を捕まえて殺害し、その映像をインターネットで流しています。また8月に、日本人をも拘束しています。更に、イラクの北部にいるクリスチャンに対して、凄まじいほどの迫害を行なっています。
こうして、宗教は時々、恐ろしいものになってしまう場合があります。どんな間違ったような、極端な教えであっても、神の名によって語られると、人々は神の意志だと信じて、命懸けでそれを守ります。神の喜ぶことだと思い込ませられれば、どんな極悪非道なことでも、平気でやってしまうのです。
拡大する「イスラム国」の脅威に対して、アメリカ合衆国などは空爆を続けていますが、余り効果がないようです。その一つの理由は、日本を含む世界各地から、「イスラム国」のビジョンに賛同した若者たちがどんどんイラクに集合し、「聖戦」に加わろうとしているからです。彼らは、カルトに入信する若者と同様に、人間社会に失望し、生き甲斐を求めています。ですから、今、最も必要なのは、悩む若者の不満に耳を傾け、健全な宗教のあり方を指し示すことだと言えるかも知れません。
「私の兄弟たち。あなたがたのうちに、真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を連れ戻すようなことがあれば、罪人を迷いの道から引き戻す者は、罪人のたましいを死から救い出し、また、多くの罪をおおうのだということを、あなたがたは知っていなさい」(ヤコブの手紙5章19―20節)。
私たちの周りにも、危険な思想や生き方から救われるべき若者はいないでしょうか。機会があれば、暖かい愛の手を差し伸べていきましょう。

靖国神社参拝問題の謎

2014年8月22日(金)

 昨年末に安倍首相が行なった靖国神社の電撃参拝は、中国・韓国はおろか、同盟国の米国からも批判を浴びました。今や靖国参拝問題は政治・外交における最大の火種の一つとなっています。安倍総理は今年の終戦記念日の参拝を見送りましたが、それは日中、日韓首脳会談へ向け、両国への配慮を示す狙いがあったのでしょうか。ただ、3閣僚や多くの国会議員が参拝したことに中韓両国は批判を強めており、関係改善は見通せない状況です。
 靖国神社、日本国を守護するために亡くなった戦没者を慰霊追悼するための施設、及びシンボルとされています。「国に殉じた先人に、国民の代表者が感謝し、平和を誓うのは当然のこと」という意見もある一方で、「アジヤの近隣諸国に侵略して、多数の犠牲者を出したのだから、それらの国々への配慮から、公式参拝を控えるべきではないか」という主張もあります。また、内閣総理大臣・国会議員など公職にある者が公的に靖国神社に参拝することは、日本憲法第20条が定める政教分離原則と抵触しているという見方もできます。
 こうして、靖国参拝問題は、日本人の宗教観や歴史認識と深く関わっている問題で、今後も激しい議論が続くことでしょう。しかし、中国や韓国の国民に不快感を与え、外交的な摩擦を生むこともある靖国神社への参拝に、何故、安倍総理などはこだわるのでしょうか。一体、どのような国益につながるのでしょうか。恐らく、アメリカのオバマ大統領がいちばん首を傾げるのは、このポイントなのでしょう。
 この不可解な謎に対して、一つ、考えられることは、国家の権威の維持が絡んでいるということです。政治家は、国民に対する権威を維持することを最重要課題と考えます。極力、自分(または国家)の間違いを認めず、自分が常に国民を最善に導いているというイメージを保とうとします。そして、当然のことながら、その中で独特な歴史認識を掲げます。「太平洋戦争は侵略ではなく、自衛だった」とか、「アジヤの諸国を略奪したのではなく、欧米の支配から解放した」とか、「戦死した人々は、誤った軍国主義の犠牲者ではなく、国の平和と繁栄に貢献した人々だ」という、国際社会に通用しない論理を繰り広げます。
 言うまでもなく、人をコントロールすることを目的とした権威主義は、カルト教団においても見られます。絶対的な存在とされるカルトの教祖は、自分への無条件の服従を信者に強要します。信者の利益や人権などは二の次で、教祖の計画・ビジョン・願望が最優先されるのです。
 このような権威主義に対して、イエス・キリストはサーバント・リーダー(しもべ的指導者)の概念を語っておられます。
 「そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。『あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。しかし、あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。人のことが来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです』」(マルコの福音書10章42―45節)。
 ここにあるように、真の指導者は、権力をふるうことをせず、人々に仕える者です。自分の願望ではなく、人々の必要を優先する者です。そのような指導者こそ、真の意味で、人々の信用や尊敬を勝ち取るのです。