真理のみことば伝道協会

カルト宗教被害者の皆様の問題解決のお手伝いをさせて頂いております。

聖書のミニメッセージ

 「ミス青森」に選ばれた女性の話です。この女性は、青森県の女性の中で、最も美しい女性として、公に認められた訳ですから、自分の勤める会社や周りの人々から、脚光を浴びていました。

 ところが、そんなある日、同じ会社の女性が、彼女ばかりが注目の的になるのに嫉妬して、硫酸を手に入れ、彼女の顔にかけてしまったのです。言うまでもなく、美しい「ミス青森」が、火傷のために、とても醜い顔に変わりました。彼女はすっかり生きる気力を失い、自殺を考え、電車に飛び込むため、線路に行きました。ところが、自殺をしようとしたその時に、彼女はふと、幼い頃、教会の日曜学校に行った時のことを思い出しました。自殺はいつでもできると気を取り直して、教会を訪ね、牧師から福音を聞きました。先生の話を聞いているうちに、彼女は人生に対する価値観が変わり、神を求め始めたのです。彼女は、外面 を美しく装うことで、自分の存在価値を人に認めさせようとして、努力してきましたが、心の中は汚れていることに気付いたのです。彼女は、イエス・キリストが十字架にかけられている時の姿と、自分の姿とを比較してみたのです。キリストは十字架の上で血を流されました。あまりにも醜い姿でした。しかし、あの十字架の醜さは、私たちの心の罪の醜さを美しくするための身代わりだったのです。彼女は、外側の醜さよりも、心の醜さのほうが問題だということに気付いたのです。神の前に自分の醜い罪を告白し、イエス様を信じました。

 そんなある日のことでした。彼女は偶然、町で硫酸をかけた女性に出会ったのです。その女性は逃げる訳にもいきません。罵声を浴びせられても仕方がない、と覚悟したのでしょう。黙って下を向いてしまいました。ところが何と、その女性の思いとは違って、ミス青森は、女性の両手を取り、笑顔で「ありがとう」と言ったのです。

 「えっ、なんですって?」

 女性は驚いて、一瞬、自分の耳を疑ってしまいました。ミス青森は説明しました。

 「あなたが、私の顔をめちゃめちゃにしなかったら、私はいつまでも、外側の美しさだけを誇りながら、生きようとしていたことでしょう。顔は醜くなりました。でも、心の中は、雪よりも白くされたのです。だから、『ありがとう』、と言ったのです。」

 女性は思ってもいなかった彼女の言葉にびっくりして、彼女に心から謝りました。そして、彼女の優しい言葉によって、罪責感から解放されて、平安を得ることができたのです。

 私たちも、自分の存在価値を人に認めさせるために、外見を美しく飾ろうとしたり、大きな財産を築こうとしたり、職場や学校で立派な実績を作ろうとしたりしていませんか。しかし、神の前で最も大切なのは、私たちの心です。

 「あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面 的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです」(第一ペテロ三章三~四節)。

 あなたの心は、どんな状態でしょうか。

真の希望

2012年2月16日(木)

パピニというイタリアの詩人が、こんな言葉を書いています。

 「人間の生活に絶対必要なものが三つある。食物と健康と、それに希望である。」

 確かに、そのとおりだと思います。しかし、今の世の中で、希望を見付けることは、とても難しいのではないでしょうか。テレビや新聞を見ても、暗いニュースばかりです。人類の将来や、自分の人生に希望が持てる話など、どこにもないのです。ある人口動態調査によると、日本の自殺者数は、三十五パーセントも増えて、三万人となったそうです。また、離婚件数も九・二パーセント増えて、二十四万組だったということです。どちらも過去最高の記録だそうです。

 このように、多くの現代人は、希望をなくしていますが、イエス・キリストを信じる者には、素晴らしい望みが与えられているのです。

 「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」(ヨハネ十一章二十五節)。

 先日、ベレッタ・クラムリーというアメリカ人女性の証しを読みました。旧約聖書のヨブを思わせる試練を経験した方です。長男のダニエルは、2歳の時に、白血病で亡くなっています。初めは、「どうしてですか」と神に抗議の祈りをしましたが、その大きな苦しみの中で、人間にとって最も大切なことは、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者はたとい死んでも生きる」と言われたお方を知ることだと、確信させられたと言います。

 夫のヘンリーさんが癌だと分かったのは、その2年後でした。次男のリヨンに続いて長女のローリーが生まれていました。ヘンリーさんは、海外宣教に神の召命を感じていました。そこで彼は、残りの日々を、海外宣教のために使おうと、決意しました。病気を押して夫婦は南米、ギリシャ、インド、日本、韓国、台湾へと宣教の旅にでました。帰国して1週間後、ヘンリーさんは天に召されました。葬儀の午後のことを、ベレッタさんは、こう語っています。

 「突然、私の心の目に夫のビジョンが現れ、彼のよみがえった体は勝利を得て、もう二度と苦しまず、早く主のもとに急いで昇って行きたいように見えました。両腕を伸ばしたイエス様がヘンリーに呼びかけて『良い忠実な僕よ、よくやった』と言ってくださると確信しました。」

 三度目の試練は、突然でした。17歳になったリヨンと妹のローリーが乗っていた車が事故に遭ったのです。二人の死を告げる警察官の言葉にベレッタさんは、「突然高い崖から荒れている海に突き落とされたような気がした」そうです。しかし次に瞬間、聖霊によって強く包まれ、優しく、安全な、天のお父様の温かい臨在を感じたと言います。そして警察官に向かって、落ち着いた声で言いました。

 「うちの子供は天国の神様のところに行きましたのね。」  ベレッタさんはその後、宣教師として台湾で奉仕し、多くの人々をキリストに導いている、ということです。

人間のクズでも大丈夫だ

2012年2月15日(水)

 一人の青年が、大工として働きたいと願い、ある工務店で面 談を受けることにしました。「定職がないので、親から『人間のクズだ』と言われる」と、青年は小さな声でこぼしました。すると、大工さんが間をおいてから、次のように話しました。

 「お前な、クズやカスは大丈夫だ。ゴミは駄目だが、クズやカスは再生がきくんだよ。紙クズ、鉄クズを見ろ。立派な資源だ。ガラスのクズは新しいガラスを作る時に必要なんだ。酒カスで甘酒を作る。カス漬けなんか、うめいだろう。おれも学校も出てねえし、若い時はクズだった。親不孝もしたよ。」

 大工の話が青年の胸を打ち、心を開かせ、やる気を起こさせました。彼は今や、立派な大工さんに成長しつつあるということです。

 聖書の中にも、再生品として立ち直った人物が出て来ます。例えば、ザアカイという取税人です。取税人というのは、イスラエル人でありながら、ローマ帝国に協力して、同胞から税を取り立てた人のことです。多くの場合、必要以上のお金を取り立て、ローマ人に渡す以外のお金を自分たちで着服し、金持ちになっていました。このようにして、取税人はその不正直さと、ローマ帝国に協力しているという理由で、イスラエル人から嫌われていました。まさに、「人間のクズだ」というレッテルを張られていたのですが、ザアカイは「取税人のかしらだった」と書かれています。ですから、イスラエル人の目には、「クズの中のクズ」というふうに映っていました。

 しかし、ある日、ザアカイはイエス・キリストに出会いました。自分をありのままで受け入れるキリストの愛に触れて、ザアカイの心が変わりました。聖書は、その変化について、次のように述べています。

 「ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。これを見て、みなは、『あの方は罪人のところに行って客となられた。』と言ってつぶやいた。ところがザアカイは立って、主に言った。『主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します』」(ルカによる福音書十九章六~八節)。

 何という驚くべき変化でしょうか。不正直だったザアカイは、正直な人間に生まれ変わりました。それまでお金に執着し、自己中心的な生活を送っていたのに、社会問題に対して関心を持ち始め、自分の財産の半分を貧しい人々に施すと約束したのです。ザアカイはまさに、キリストによって再生された人間です。

 あなたも、周りの人間から、「お前はクズだ」と言われて、傷つけられたことがあるかも知れません。しかし、失望することはありません。例えクズであっても、あなたはゴミではありません。クズであったとしても、いつでも再生がききます。人生のやり直しができるのです。再生品には、新品以上の強さがあります。希望を捨てずに、人生にチャレンジし続けてはいかがでしょうか。