真理のみことば伝道協会

カルト宗教被害者の皆様の問題解決のお手伝いをさせて頂いております。

聖書のミニメッセージ

あるテロリストの回心

2016年6月20日(月)

イスラム原理主義のテロリストから、キリスト教に改宗したカマール・サリームさんの話です。サリームさんは一九五八年にレバノンのベイルートに生まれ、厳格なイスラム教徒として育てられました。5歳の時から、母親から、イスラム教徒の最大の名誉は、ジハードで殉教することだと聞かされました。ジハードとは、いわゆる「聖戦」のことで、イスラム教に服従しない人々、特にクリスチャンやユダヤ人を徹底的に殺すための戦いを指しています。一般のイスラム教徒が死んだ場合、アーラーという神の前に立って、裁きを受けます。その時、生きている間に行なった善行と悪行が天秤にかけられて、善行の方が重ければパラダイスへ、悪行の方が重ければ地獄へ送られます。サリームさんは母親から地獄の恐ろしさについて、とてもリアルな形で教えられて、怖くなりましたが、ジハードで死ねば、即、パラダイスに入れると聞いた時、大きな希望を持ちました。5歳の彼にとって、殉教することが人生の目標になったのです。
その後、学校に行くようになって、ひどいいじめに遭います。そして、たまたま逃げ込んだモスクの聖職者に助けられて、そこで、ジハードに関する具体的な話を聞きます。早速、兵士としての訓練を受け始め、イスラエルに武器を運ぶ役割を担うようになります。まだ、7歳の子供です。危険極まりない任務をこなしていく中で、何度も殺されそうになりますが、奇跡的に守られます。そのために、ヒーロー扱いを受けるようになります。また、テロリスト集団の中で偉くなり、更に重要な責任を任されます。資金集めのためにサウジアラビアの貴族と付き合ったり、アフガニスタンに派遣されてソ連軍と戦ったりします。そして、成人した後、最も大きな計画への参加を命じられます。それは、アメリカに行って、イスラム教原理主義の思想を広め、アメリカをイスラム教国に生まれ変わらせるという計画です。
イスラム教原理主義者にとって、アメリカは大サタンです。イスラム教の世界制覇を妨げる、最も忌み嫌われるべき国です。サウジアラビアなどからの膨大な経済的援助を受けながら、早速、布教活動を開始します。町の貧しいスラム街に出かけて、そこに住む人々に何か困ったことがないかどうかを聞きます。「食べ物がない」と言われれば、次の日、食べ物を届けます。「家賃を払うお金がない」と言われれば、お金を渡します。そうして、人々の信用を得てから、イスラム教のことを語る訳です。また、特に熱心に話を聞いてくれる人には、ジハードの話をするのです。
そんなある日、サリームさんは不慮の交通事故に遭って、重傷を負ってしまいます。首の骨を折って、数か月の入院が必要になりますが、彼は保険に入っていなかったので、数千万円もかかると言われます。勿論、サウジアラビアの知り合いに電話をすれば、お金を送ってもらえるのですが、身動きが取れないし、下手をすると自分の正体がバレテしまうので、非常に困ったことになります。しかし、その時、彼の治療に当たっていたドクターがクリスチャンで、サリームさんを自分の家に引き取って、面倒を見ると言いました。自分の教会のメンバーに献金を呼びかけて、未払いの医療費も何とかすると話しました。サリームさんは仕方なく、自分の最も忌み嫌うクリスチャンの家でお世話になることになる訳ですが、そこで、クリスチャンに対する偏見がすべて覆されます。彼は頭の中で、混乱して、アーラーに答えを求めます。
「私は間違ったことを信じていたのでしょうか。どうすれば良いのですか。」
すると、声がします。
「アブラハム、イサク、ヤコブの神に祈れ。」
イスラム教徒は、アブラハムを預言者として認めています。「アブラハム、イサク、ヤコブの神よ」と祈り始めると、部屋がまばゆいばかりの光に満たされます。サリームさんは、「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねます。すると、「わたしは、『わたしはある』という者である」と言われます。「私は喜んで、あなたのために死にます」と言うと、「あなたは死ななくても良い。わたしが既に、あなたのために死んだから」と言われたということです。こうして、サリームさんはキリストに出会った訳ですが、今は、イスラム原理主義の脅威について、米国各地で警告するための講演活動をしています。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です」(第2コリント5章17節)。

ドナルド・トランプ旋風

2016年5月2日(月)

 御承知のように、今、アメリカのドナルド・トランプ氏が一大旋風を巻き起こしています。その物議を醸す過激な発言に共鳴する人もいれば、危機感を抱く人もいます。過激な発言として、例えば、このようなものがあります。
「日本に核兵器の保有権を認めて、北朝鮮が暴走した時に、やっつけてもらおう。」
「これ以上、メキシコからの不法移民を許す訳には行かないから、アメリカとメキシコとの間に巨大な壁を作って、その請求書をメキシコに送りつけようではないか。」
「人工中絶をした女性に罰金を課そう。」
大統領選共和党候補指名権を獲得することがほぼ確実と見られているトランプ氏ですが、実際に大統領に選ばれたとしたら、大変なことになると、多くの人々は危惧しています。トランプ大統領が誕生してしまった時には、アメリカを脱出すると言っている人もかなりいると聞いています。それは少々、行き過ぎた反動だと思いますが、人類の過去100年の歴史を振り返ってみても、恐ろしい独裁者が多く出没しています。ヒットラー、スターリン、毛沢東などなどです。彼らの身勝手な行動により、何千万人もの人々が尊い命を落としました。21世紀に入っても、歪んだ世界観に基づいて、暴走している、あるいは暴走しそうな独裁者が次々に現れています。今の世界情勢に不安を覚えていない人はいないでしょう。
しかし、世界情勢がどんなに悪化したとしても、平安でいられる聖書的根拠があります。それは、神の主権です。神が歴史を支配されるお方として、世界の上に君臨しておられて、ご自分の愛と正義に根差した計画の実現のために、すべてを導いておられるということです。
「主は国々のはかりごとを無効にし、国々の民の計画をむなしくされる。主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代々に至る」(詩篇33篇10―11節)。
この聖句は、神の主権をはっきりと示しています。聖書の神は、ただ天から世界情勢を傍観しておられる方ではありません。人類の歴史に介入してくださり、腹黒い政治家を取り除いたり、悪政に終止符を打たせたり、計画を阻止したり、独裁者を罰したりしてくださいます。
人類が列車に乗っていると想像すれば、分かりやすいかも知れません。列車に乗っている人々は、ある程度までの行動の自由が与えられます。国の権力者たちは運転室に入って、ハンドルを握り、自分たちの好きなペースで好きな所に行けると錯覚しますが、ある所まで進むと、神が「はい、そこまで」と言って、遠隔操縦に切り替えて、列車の進む方向を変えてしまわれます。こうして、ご自分の望まれる通りの所に人類を導かれるのです。
「王の心は主の手の中にあって、水の流れのようだ。みこころのままに向きを変えられる」(箴言21章1節)。
列車に乗っている私たちは、別の線路に入ったことに気付かないかも知れません。気付いたとしても、その理由が分からないかも知れません。しかし、そうだとしても、この列車の本当の運転手は、正義と公正を愛される神だと信じているなら、安心して乗っていられる訳です。車窓から外の景色を見て、「何か、辺ぴな所を通過しているなー。どうしたのだろう」と思うことがあっても、必ず、神のみこころにかなった目的地に着くと確信して、平安でいられるのです。
この世界は、ドナルド・トランプ、あるいはキム・ジョンウンの支配下にあるのではありません。この世界を造られた方の支配下にあります。そのことを覚えて、アメリカの大統領選の行方を見守っていきたいと思います。

難民問題を考える

2016年2月26日(金)

 去年の夏ごろから、シリヤの難民問題が何度もニュースで取り上げられています。難民たちは、数年前から続いている内戦による悲惨な状況から何とか逃れようとして、シリヤからトルコ経由でギリシヤに渡り、最終的にはドイツやイギリスなどを目指しますが、エーゲ海でゴムボートが転覆して、命を落とす人々が沢山います。1月22日の転覆事故で45人、1月30日の事故で33人も死亡したと報道されています。また、数ヶ月前、ギリシヤの海岸に流れ着いた4歳の男の子の遺体の映像がインターネットに載り、世界中の人々に大きな衝撃を与えました。その映像を見て、「何とかしなければならない」と誰もが思ったでしょうが、なかなか難しい問題をはらんでいます。
難民の受け入れが期待されているドイツやフランスには、猛反対している人々が多くいます。難民の中に、テロリストが紛れ込んでいるのではないかとか、自分たちの税金の負担が増えるのではないかとか、国の文化が変わってしまうのではないかとか、失業率が悪化するのではないか、とかいうような懸念を持っています。また、そもそも何故、国民の血税で関係のない外国人の面倒を見なければならないのかという不満を漏らす人々もいます。確かに、国民の言うことにも一理あります。
アメリカも前から、アフリカなどの難民を積極的に受け入れていますが、なかなかうまく行かない面が多々あります。先日、南部のジョージア州で難民を支援するためのボランティア活動をしている20代の女性の話を読みました。ルマ・ムフレーという女性で、ヨルダンの裕福な家庭で生まれ育った人ですが、アメリカの大学に入って、そのままアメリカに残り、アメリカの市民権を取った人です。自分も外国からアメリカに移住し、外国人としての苦労が分かるから、何とか難民がアメリカの社会になじむことができるように助けたいと思って、ジョージア州のクラクストンという町で難民の子供のためのサッカー・チームを始めたのです。アフリカのスーダン、ヨーロッパのコソボ、中東のイラク、またアフガニスタンなどから子供が集まって来ました。皆、大変な状況の中から命からがら逃げて、大きな傷を負っている子供ばかりです。ルマさんはチームの監督として、子供たちにサッカーを教えるだけでなく、勉強を見てあげたり、相談相手になってあげたり、家庭に食べ物を届けてあげたりするのですが、少しずつ、子供たちとその家族の信用を得て行きます。しかし、チームとして一つになるということは、なかなか大変でした。言葉や生活習慣の違いもあり、中東から来た子のアフリカ人に対する偏見もあり、アフリカ人のヨーロッパの人に対する警戒心もありましたが、ルマさんはなるべくお互いの違いではなく、共通点を強調しました。そのうちに、チームとして見事にまとまって、サッカー大会で優勝するのです。
 ここに、難民問題の解決の糸口があると言えるかも知れません。まず、お互いの違いではなく、共通点を見つけることです。更に、それに加えて、受け入れる側に難民に対する同情心と期待感、難民側に感謝の表明・地域活動への参加・言語の取得を加えることができれば、相互理解が生まれるのではないでしょうか。
 聖書はこう言っています。
 「あなたがたの神、主は、神の神、主の主、偉大で、力あり、恐ろしい神。かたよって愛することなく、わいろを取らず、みなしごや、やもめのためにさばきを行ない、在留異国人を愛してこれに食べ物と着物を与えられる。あなたがたは在留異国人を愛しなさい。あなたがたもエジプトの国で在留異国人であったからである」(申命記10章17―19節)。

サイレント・ナイト

2015年12月28日(月)

 あるクリスマス・イブに起こった奇跡の話です。アメリカのモンタナ州に住む新婚のケイティーとスティーヴは、夫婦として迎える最初のクリスマスを楽しみにしていました。ところが、11月の暮れに、ケイティーのお母さんが末期癌であるという悲しい知らせが舞い込んで来ました。ケイティーは看病のために、二人の貯金をはたいて、すぐに飛行機に乗り、お母さんのいるアイオワ州に飛んで行きました。夫のスティーヴも、クリスマスの数日前に、合流する予定でしたが、自分の分の飛行機代はありませんでした。教会に祈りの課題を出しました。すると、同じ教会のメンバーのジョーという人で、セスナ機を持つビジネスマンが、「ついでの用事があるから、クリスマス・イブに、うちの飛行機でアイオワ州まで送ってあげるよ」と言ってくれたのです。スティーヴは祈りの答えだと信じて、ジョーの言葉に甘えることにしました。
しかし、12月24日の午後、空港に行って、ジョーのセスナ機を見て、スティーヴは少なからず、不安を覚えました。飛行機に乗るのも初めてだったし、そのサイズも余りにも小さかったからですが、空港の中で、「サイレント・ナイト」が流れているのを聞いて、神が共におられることを確信しました。それに空港は快晴だったし、たった数時間の飛行だから、きっと守られるだろうと思って、セスナ機に乗り込みました。最初の1時間は順調でしたが、そのうちに濃い霧が発生して、全く何も見えなくなってしまいました。そこでスティーヴはまた、不安になりましたが、ジョーはすぐに言いました。
「計器飛行ができるから、心配、要らない。空港の上に霧があると困るけれども、アイオワ州までこの状態が続くことはまずあり得ない。」
ところが、そのあり得ないことが起きてしまったのです。アイオワ州のデモイン空港は濃霧に覆われていました。ジョーは助けを求めようと思って、管制塔に事情を説明しましたが、管制塔の返事は、「空港は、霧のために閉鎖されています。サウスダコタ州の空港に引き返してください」ということでした。しかし、ほとんど燃料が残っていませんでした。そのことを管制塔に伝えても、しばらく返答がありませんでしたが、数分後に、別の男性の力強い声が聞こえて来ました。
「よし、分かった。緊急着陸を許可する。」
ジョーは何も見えない中で、空港を目がけて、少しずつ、高度を下げて行きました。しかし、彼の見当はずれていました。空港から数キロ離れた高速道路の上を飛んでいました。突然、「機体を上げなさい」という男の声がしました。あと、数メートルで、高速道路の標識にぶつかるところでした。再び、男の声がありました。
「落ち着きなさい。私の指示に従うなら、必ず、無事に着陸できる。」
ジョーは答えました。
「了解。じゃ、お願いします。」
男は具体的な指示を出し始めました。
「もう少し、高度を下げて。いや、それは下げ過ぎ。はい、そのまま。今度は、右のほうに機体を傾けて。はい、そのまま真っ直ぐ。そのまま高度を下げて。もう、滑走路が見えて来たでしょう。」
男の言う通り、滑走路が見えて来ました。そして、無事に、着陸できたのです。二人は、親切な男性にお礼を言おうと思って、再度、管制塔に連絡をしました。
「助かりました。適切な指示をしてくださって、本当にありがとうございました。あなたは、私たちの命の恩人です。」
管制塔の人は当惑した様子で言いました。
「何を言っているのですか。私たちは何の指示も出していません。先程も伝えたように、空港は濃霧のために閉鎖されており、どの飛行機に対しても着陸許可を出していないのです。」
二人は顔を見合わせました。そして、二人とも、心底から震え上がるような感動を覚えながら、同時に、「神様の声だった。神様、ありがとうございます」と言ったのです。スティーヴは、空港で『サイレント・ナイト』が流れていたのを思い出しました。まさに、クリスマス・イブの静寂を、神様の声が打ち破り、二人の命を救ったのです。2000年前にも、静かに羊の夜番をしていた羊飼いたちのところに、神様の救いの知らせが響き渡りました。
 「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」(ルカによる福音書2章11節)。

九転十起生

2015年10月15日(木)

 「九転十起生」。
 これは、幕末から大正という激動の時代を切り開いて行った実業家、広岡浅子のペンネームです。ご承知のように、NHKドラマ「あさが来た」のヒロインあさのモデルです。1849年に三井家の令嬢として生まれた浅子は、幼い時から学問に強い興味を持ちますが、「女に教育は不要」という当時の商家の習慣は固く、家人から読書を禁じられます。やがて、17歳の時、大阪の豪商である加島屋の次男と結婚します。女性は器物同様に扱われた時代でしたが、使用人に任せて業務にかかわろうとしない商家の風習に疑問と限界を感じた浅子は、筆記や算術を独学するようになります。彼女の努力の甲斐があって、明治維新の動乱の中で、かなり危なくなっていた加島屋の財政が立ち直ります。更に、浅子は1884年に炭鉱事業に参画し、福岡県飯塚市にある炭鉱を買収し、開発に着手します。その際、単身炭鉱に乗り込み、身を守るためにピストルを持ち歩いていたと言われています。このように、男もためらうような冒険的な事業に敢えて乗り出したので、狂気扱いされることも度々あったといいます。1888年に加島銀行を設立し、1902年に大同生命創業に参画するなど、加島屋は近代的な金融企業として大阪の有力な財閥となります。
こうして、浅子は明治の代表的な女性実業家として名を馳せた訳ですが、60歳の時に乳癌を患い、大きな挫折を味わいます。それまで、「九転び十起き」の精神で様々な困難を乗り越えた彼女でしたが、救いを求めて、大阪基督教会を訪ね、宮川経輝牧師から福音を聞きます。聖書の教えに、浅子は、「わが身の傲慢な事が解り、今までの生涯が恥ずかしくも馬鹿らしくも思われ」たのです。その後、洗礼を受けて、走り続けた生涯でやっと心の平安を得たのです。その生涯の中で、浅子は何度も転んで、起き上がって来ましたが、最後に起き上がった場所は、神の御手の中でした。
 聖書にも、「九転び十起き」と同じような言葉があります。
 「悪者よ。正しい人の住まいをねらうな。彼のいこいの場所を荒らすな。正しい者は七たび倒れても、また起き上がるからだ」(箴言24章5―16節)。
 何度、転んでも起き上がる。困難な状況にあっても、希望を捨てずに、チャレンジし続ける。人生の基本中の基本だと言っても過言ではありません。しかし、誰であれ、地面から起き上がらなければならないと分かっていても、周りから「頑張れ!」と声援を受けても、なかなか立ち上がれない時があります。もう、力が尽きてしまっています。どうすることもできないのです。そのような時に、もはや諦めるしかないのでしょうか。いいえ、まだ道が一つ、残っています。それは、広岡浅子のように、造り主なる神を求めて、聖書の約束を握り締めることです。
 「正しい人は、神様の指示に従って歩みます。神様はその一歩一歩をお喜びになるのです。たとい倒れても、それで終わりではありません。神様がしっかり支えておられるからです」(詩篇37篇23―24節、『リビング・バイブル』)。
 あなたも、神の力強い御手に支えられて、再び、起き上がることができますように。