真理のみことば伝道協会

カルト宗教被害者の皆様の問題解決のお手伝いをさせて頂いております。

聖書のミニメッセージ

あふれるばかりの恵み

2012年2月16日(木)

 ノルウェーの国王オラフ5世はある朝、宮殿から駅まで歩いていました。すると、道端に座っていた一人のホームレスの男性が、悲痛な声で訴えてきました。

 「王様、助けてください。私は何日も、何も食べていません。」

 オラフ王は彼の顔をじっと見つめて、こう聞きました。

 「本当に何も食べていないのか。」

 「はい、王様、本当です。おなかがぺこぺこで死にそうです。」

 「名前は何というのか?」

 「ヨハンです。」

 すると、王はメモ用紙とペンを取り出して、何かを書いてから、それを男性に渡しました。そこには、「今日の晩ご飯にヨハンを招待する」と書かれていたのです。

 ヨハンは、晩ご飯の時間まで待って、王からいただいた招待状を持って、宮殿に近づきました。宮殿の周りには拳銃を持った兵隊やガードマンがたくさん、立っています。ヨハンが恐る恐る、入り口まで進むと、ガードマンの一人はみすぼらしい彼の姿を見て、怒鳴りつけました。

 「早く帰れ。ここは、お前のような人間の来る所ではない。」

 しかし、ヨハンは勇気をもって、メモを取り出し、ガードマンに見せて言いました。

 「あのう、王様に招待されて来たんですけど。」

 確かに、メモにはオラフ5世のサインがしてあります。それでヨハンは王が食事する所に案内されました。そして、それまで口にしたことのない美味しい食べ物をおなか一杯食べました。

 次の日も、夕食時に、ヨハンが宮殿の入り口に姿を現しました。呆れ返ったガードマンは、「昨日は招待状を持っていたから特別に入れてやったけれども、今日はそういう訳にはいかないぞ」と、怒った口調でヨハンを追い返そうとしました。すると、ヨハンは王からいただいたメモをポケットから出して言います。

 「しかし、見てください。『今日の晩ご飯にヨハンを招待する』って書いてあるでしょう?だから、今日も食べても良いんでしょう?」

 何も返す言葉が見つからなかったガードマンは、仕方なく、王のダイニング・ルームに通しました。結局、ヨハンはその日も、またその次の日も、その次の日も、しばらく王の食卓に着くことができた、ということです。

 父なる神が罪人に注いでくださる恵みをよく現している話ではないかと思います。聖書で言う「恵み」とは、受ける資格のない者に一方的に与えられる神のご好意のことです。神に罪を犯した私たちは、本来、神の裁きを受けても当然な者でしたが、キリストの十字架のゆえに、神のあふれるばかりの恵みに預かることができるのです。

 「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか」(ヘブル四・一六)。 これこそ、私たちが王から与えられた招待状なのです。私たちは、いつでも、「主よ、助けてください。恵みをください」と求めることができます。「今日も来たのか」と呆れられることは決してありません。
 今日、神の豊かな恵みを求めましたか。

「万能細胞」は本当に万能か

2012年2月16日(木)

 2006年8月、京都大学の山中伸也教授が、人の皮膚から取った細胞に遺伝子を入れて培養したことにより、「万能細胞」ができました。「万能」と呼ばれるのは、神経細胞、心臓細胞、臓器細胞、血液細胞、軟骨細胞などが作られるからです。つまり、「万能細胞」は、どの臓器にも分化できる能力(分化全能性)を持っているのです。

 今、臨床で細胞レベルでの移植が行われており、放射能治療などを行った後に血球の回復をはかる治療法や、心筋梗塞などによって心筋細胞が死んでしまった場所に注入して細胞再生をはかる治療法や、アルツハイマー病などに対する治療法などの応用が進められています。将来は、精子や卵子も作られるようになる、と言われています。

 ある科学者は、万能細胞ができたことを、「ライト兄弟の初飛行機と同じくらい重要な出来事だ」と評価しています。また、「いよいよ、ホームメード医療の時代の到来だ」と喜んでいる人もいますが、確かに、驚くべき進歩だと言えましょう。しかし、問題が全くない訳ではありません。どこまで再生医療技術を進展させて良いか、安全性はどうなのか、人権はどう擁護されるか、人工人間(クローン)を作る研究や実験が再び進むようになるのではないか、などの疑問があります。これらの重要な問いに対する明白な答えもないまま、新しい知識がどんどん利用される可能性が十分にあります。そうなった場合、恐ろしいことも起こり得るのです。

 人間は原子力発電所を作ることもできれば、原子爆弾を作ることもできます。今、必要なのは、すべての研究者が造り主なる神の主権を認める謙虚さです。人間が大きな力を持つと、自分が神になったかのような錯覚を起こします。更に、自分中心的な価値観(基準)に基づいて行動するようになるので、当然守られるべき人権が踏みにじられる事態が発生します。命を与えてくださった神の存在を認めて、神の前で何が正しいかを真剣に考えるべきです。

 もう一つ重要なことは、神を信じなければ人の心は満たされない、ということを学ぶことです。「万能細胞」によって医療技術が飛躍的に進歩して、人の寿命が伸びたとしても、霊的に満たされて、生きる目標がなければ、果たして、どれほどの意味があるのでしょうか。場合によっては、「万能細胞」は苦しい人生の終結を、ただ先送りするだけの結果をもたらすかも知れません。そうです。体の再生ができても、人の心に生きる希望を与えることのできない「万能細胞」は、万能ではないのです。

 聖書は、万能なのは造り主なる神だけである、と述べています。

 「ああ、神、主よ。まことにあなたは大きな力と、伸ばした御腕とをもって天と地を造られました。あなたには何一つできないことはありません」(エレミヤ三二章一七節)。

 これは、エレミヤという預言者がささげた祈りの一部分です。エレミヤは、堕落したユダヤの民のために、神から与えられた悔い改めのメッセージを忠実に伝えた人ですが、彼のメッセージに応答した人は、一人もいませんでした。むしろ、人々はエレミヤを激しく迫害したのです。しかし、それにもかかわらず、エレミヤは最後まで務めを果たし、力強い人生を全うしました。それは、日々、神の全能の力によって、心が再生されたからです。

 あなたの心には、霊的な「万能細胞」がありますか。

アンデス山脈での奇跡

2012年2月16日(木)

 先日、『アンデス山脈での奇跡』という本を読みました。三五年前に、アンデス山脈で起きた飛行機事故の一六人の生存記録ですが、彼らは標高四〇〇〇メートルの山の中で、七二日間、生き延びました。飛行機が墜落したのは、春先だったので、厳しい寒さに耐えなければなりませんでした。食べ物もなく、飲み水もありません。何度も吹雪が襲ったり、雪崩が発生したりしました。全く絶望的な状況でしたが、「神様が私達を見捨てるはずがない」という信仰が彼らを支えたのです。共に祈ったり、励まし合ったり、話し合ったりする中で、少しずつ、様々な知恵が生まれました。飛行機の残骸の中に、寝る場所を確保しました。また、太陽熱で雪を解かして、飲み水を得ました。最初の数日間、「もう少しの辛抱だ」と自分たちに言い聞かせて、救助隊が来てくれることを待っていましたが、最終的に、「自分たちで山を下りて、助けを求めるしかない」と、二人の生存者が覚悟を決めて、何の装備もないまま、六〇〇〇メートルの山を越え、一〇日後に、ようやく一人の羊飼いに出会うことによって、助かります。最初は英雄として迎えられた一六人でしたが、彼らがどのような方法で生き延びられたかが明らかにされると、今度は非難の的にされるようになりました。実は、一六人は、事故で亡くなって、雪の中で凍っていた人々の死体の肉を食べて、生き延びたのです。

 耐え難い試練に直面している者に対して、聖書は次のように約束しています。

 「あなたがたの会った試練はみな、人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます」( コリント一〇章一三節)。

 イスラエルの民がエジプトを出て、パロの軍隊に追いかけられた時に、主なる神は海を分けて、海の真ん中に道を設けてくださいました(出エジプト記一四章)。預言者エリヤのために、カラスに食べ物を運ばせてくださることもありました( 列王記一七章三~六節)。また、使徒パウロがダマスコでの迫害から逃れられるように、城壁の窓からつり降ろされるかごを備えてくださったのです(使徒九章二三~二五節)。

 真実なる神はいつでも、脱出の道を備えてくださいます。それは、時には、不思議な方法であるかも知れません。また、ある場合、なかなか周囲の人々に理解されないような方法であるかも知れませんが、「神が私を見捨てるはずがない」という信仰をもって、脱出の道を探せば、きっと見つかるでしょう。

 「見よ。わたしは新しいことをする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける」(イザヤ四三章一九節)。

今も続くホロコースト

2012年2月16日(木)

 「ホロコースト」という言葉を聞くと、誰もがナチス・ドイツで虐殺された六百万人のユダヤ人の悲劇を思い起こすことでしょう。また、「二度と同じ過ちを繰り返してはならない」という認識も、世界中のほとんどの人々が持っていると言えると思います。

 しかし、そのような共通の認識があるにもかかわらず、実際のところ、アメリカやヨーロッパ、また日本においても、毎年、何百万人もの罪のない人間の尊い命が、情け容赦もなく奪われています。それも、各国の法律が認めている、「中絶」という方法によってです。現在、日本の医師が厚生労働省に、中絶を行なったという報告を出すのは、約30-40万件だそうです。しかし、これは届け出の数で、未届け出のものも合わせると、最低三百万件にはなると推測されています。一日に約8000人、10秒に一人の赤ちゃんが殺されている、という計算になります。

 日本は1948年、世界で初めて「優生保護法」(赤ちゃんを殺しても良い)という法律を作りました。最初は、「日本が殺人法を制定した」ということで、批判が集まりましたが、やがて世界のほとんどの国が同様の法律を作るようになりました。

 クライスト・フォー・ザ・ネイションズ聖書学院(北海道石狩市)2007年11月号のニュース・レターの中で、辻岡健象師は、中絶を行なっていた、ある産婦人科医の話を紹介しています。その医師は、ある時、イエス・キリストのみことばを聞くチャンスに恵まれました。「最も小さい者にしたのは、わたしにしたのと同じである」という聖句です。その時、最も小さい者とは誰かと考えました。大人と子供を比べれば、子供のほうが小さい。また、子供の中で最も小さいのは赤ちゃんである。赤ちゃんの中でも、お腹の中の赤ちゃんがより小さい。更に、お腹の中の赤ちゃんの中でも、最も小さいのが中絶されていく赤ちゃんではないか、という結論にたどり着きました。それまで、何千何万人もの赤ちゃんを中絶してきた医師ですが、キリストのみことばを聞いて小さなイエス様を殺してきたことを悔い改め、今度は、赤ちゃんの命を守る側に回ると言ったということです。

 日本における中絶の原因の99パーセントは経済的な理由であると言われます。実に、理解に苦しむ話です。日本は豊かな国です。人々は高価な車を乗り回したり、海外旅行をしたり、エステをしたり、ブランド品を買い集めたりするお金を持っています。しかし、一人の人間の尊い命を守り、育てるお金がない、というのです。次の聖書箇所が、そのまま、現代人に当てはまるのではないでしょうか。

 「終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです」(テモテ三章一-五節)。

 十字架上のキリストと共に、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」と祈らずにはいられません。

 都内の食堂の外に置かれた鳥籠の中から、九官鳥がはっきりとした言葉で、通り掛かる人々に話しかけていました。

 「いらっしゃいませ。」
 「お~い。」
 「焼酎。」

 かなり、店の繁盛に貢献しているようです。ちなみに、バイクのエンジンの音も、真似できます。

 先日のテレビ番組のことですが、家内と一緒に笑いながら、「九官鳥って、面白いよね。一度、飼ってみたいね。どうやって、人間の言葉を覚えるんだろうね。わざわざ教えなくても、多分、周りの人間が普段の日常生活の中で喋っている言葉を聞いて、自然に覚えるんだろううね」という話になりました。

 次の日の朝のことです。寒さに震えながら、家内と共に布団から起き上がって、次の会話を交わしました。

 「この頃、朝、起きるのが辛いね~。」
 「辛いね~。」

 その時、ハッと気が付きました。もしも、我が家で九官鳥を飼うことになったら、どんな言葉を覚えるのだろうか。「辛いね」、「大変だ」、「疲れた~」、「どうしよう」というような否定的な言葉だろうか。お客さんを我が家に招待することができなくなるかも知れない、とも思いました。九官鳥が家族生活の実態をばらしてしまう恐れがあるからです。

 もしいずれ、九官鳥を飼うことになったなら、是非、次のような言葉を覚えさせたいと思っています。

 「アーメン。」
 「感謝。」
 「ハレルヤ!」
 「何とかなるさ。」
 「心配するな。」
 「大丈夫。」

 言うまでもなく、九官鳥に覚えさせるためには、普段から、このような言葉を使うようにしなければなりませんが、九官鳥の問題を別にして、二〇〇八年はできるだけ、ポジティヴ(肯定的)な言葉を語り、明るい一年にしたいものです。

 二〇〇七年は、実に暗いニュースが多かったように思われます。特に目立ったのは、様々な虚偽や偽装による悪質な裏切り行為です。「ミート・ホープ事件」、耐震偽装事件、食べ物の製造日や消費期限を偽って再販売した事件などが続出しました。また、「天然温泉」だったはずのものが入浴剤入りの湯だったり、「天然物」と宣伝されていた生鮮食品が養殖であったりしました。これらのことのために、人々は何を信じたらよいか、分からなくなっています。しかし、人・会社・国家の言葉が信頼できなくなると、社会そのものが破壊の危機に瀕していると言えるのではないでしょうか。

 聖書には、こう書かれています。

 「ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。・・・・・・悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい」(エペソ書四章二五、二九節)。

 このような聖書のみことばを実践するなら、現在の日本社会を特徴づける信頼失墜から立ち直ることができるようになります。家庭も、職場も、学校も明るくなります。また、九官鳥を飼っても、何の問題もないでしょう。