真理のみことば伝道協会

カルト宗教被害者の皆様の問題解決のお手伝いをさせて頂いております。

聖書のミニメッセージ

 “Yes we can!”(「我々にはできる」)というキャッチ・フレーズを掲げて、アメリカの国民に変革を訴え、アメリカの初黒人大統領となったバラク・オバマ氏。就任式の時に、彼はアブラハム・リンカーンが使っていた聖書に手を置いて、宣誓をしました。示唆に富んだ歴史的瞬間でした。アブラハム・リンカーンは、156年前に、南北戦争の真っ最中に、奴隷解放令を発した人です。南北戦争が勃発した時、最初は、合衆国の統一を守るために戦うと言っていましたが、途中から、奴隷の解放のために戦おうというビジョンを掲げたのです。奴隷解放令は南部の人々から一笑に付されただけでなく、連合軍の反感を買うことにもなりました。連合軍の90パーセント以上の人々は、「我々は、国がバラバラにならないために戦っているのであって、黒人の自由のために戦っているのではない」と猛反発をしましたが、リンカーン大統領は、全く動じることなく、ビジョンを変えようとはしませんでした。

 結局、1865年に、連合軍が勝利を収めて、奴隷たちが解放された訳ですが、黒人が本当の自由を勝ち取ったのは、その100年も後のことです。奴隷制度が廃止されても、南部の各州において、黒人に対する恐ろしい差別が続きました。例えば、黒人がバスに乗る時、バスの一番後ろの席にしか座ることが許されませんでした。入ってはならない白人専用のレストランや公衆トイレが至る所にありました。また勿論、教育面においても、就職面においても、多くの差別があったのですが、1950年代に入って、再び、リンカーンのビジョンを取り上げた人物が現れました。マーティン・ルーサー・キング牧師でした。「奴隷解放令が出てから100年も経つのに、黒人は未だに自由を得ていない。本当の解放のために戦おう」とビジョンを掲げた訳ですが、それは非暴力的抵抗という戦い方でした。黒人はバスの前の席に座ったり、白人専用のレストランに入ったりしました。そこで、罵声を浴びせられたり、殴られた、逮捕されたりしましたが、抵抗せずに、ひたすら耐えました。その地道な努力が実って、ついに、1964年、黒人の人権を認める法律が成立したのです。しかし、それでも、多くの白人(私の父も含めて)の中に、「黒人は白人に劣る人種だ」という考え方が根強く残っていました。また、言うまでもなく、「黒人が大統領になるのはあり得ない」と一般的に思われていましたが、昨年の11月に、そのあり得ないことが起こりました。オバマ氏の勝利が正式に発表されると、嬉しさの余り、涙を流す黒人が多く見られました。145年の長い歳月を経て、リンカーンのビジョンが100パーセント実現した瞬間でした。

 聖書は、こう述べています。

「善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります」(ガラテヤ6・9)。

 私たちも、人のためになるような良いビジョンを掲げながら、なかなかその実現を見ないことがあります。そのビジョンを諦めたくなることもあるかも知れませんが、すべてのことに、神の時があります。大事なのは、失望せずに、待ち続けることです。

“Yes you can!”あなたにも、きっと、目標を達成することができるでしょう。

最上のわざ

2012年2月16日(木)

 先日、義父が突然、天に召されました。昨年の11月に「血管肉腫」という悪性腫瘍に侵されていることが分かった時は、既にリンパ腺に転位していました。93歳という高齢でもあったので、私たちは一応、覚悟はしていましたが、やはり、義姉から「今、召された」という知らせを受けて、びっくりしました。というのも、弱さを覚えつつも、自力で生活をし、いつも毅然とした態度でいたからです。後に、1月4日の礼拝では、信徒を代表して新年のあいさつもしたと聞きました。

 義父はいわゆる学歴も、社会的地位も、それなりの経済力も備えられていました。大学生の時には聖書を読んでいたとも聞いています。また、出張でスイスに行き、アルプス山脈を見た時は、そのあまりの自然の偉大さに圧倒され、思わず造り主なる神様をほめたたえる気持ちで絵を描き、その隅に、「ああ、神よ」という言葉を書き添えたこともあります。長い道のりでしたが、1996年、ついに義父は80歳をすぎて、洗礼を受けたのです。

告別式の時に、姉が挨拶の中で、一つの詩を参列者の皆さんに紹介しました。父が最後に読んでいた詩だそうで、『最上のわざ』というものです。

「この世の最上のわざは何
 楽しい心で年を取り
 働きたいけれども休み
 しゃべりたいけれども黙り
 失望しそうな時に希望し
 従順に、平静に、おのれの十字架を担う
 若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見てもねたまず
 人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり
 弱って、もはや人のために役立たずとも
 親切で柔和であること
 老いの重荷は神の賜物
 古びた心に、これで最後の磨きをかける
 まことの故郷へ行くために
 おのれをこの世につなぐ鎖を
 少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事
 それを謙遜に承諾するのだ
 神は最後に一番よい仕事を残してくださる
 それは祈りだ
 手は何もできない、けれども最後まで合掌できる
 愛するすべての人の上に
 神の恵みを求めるために
 すべてをなし終えたら
 臨終の床に神の声を聞くだろう
 『子よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ』と」

 (ヘルマン・ホイヴぇルス著「人生の秋に」より)

 クリスチャンの人生観、また死に対する考え方を的確に表している詩だと言えると思います。普通、人間が年老いて、体力的に衰えていき、最後に死を迎えるということは、過酷な、悲しむべき運命と考えられています。しかし、信仰があるなら、この避けられない運命の中にも、神のご計画があり、大きな恵みがあると受け止めることができるのです。

 「モーセの祈り」と呼ばれる詩篇90篇には、こうあります。

 「あなたは人をちりに帰らせて言われます。『人の子らよ、帰れ。』まことに、あなたの目には、千年もきのうのように過ぎ去り、夜回りのひとときのようです。・・・・あなたのみわざをあなたのしもべらに、あなたの威光を彼らの子らに見せてください。私たちの神、主のご慈愛が私たちの上にありますように。そして、私たちの手のわざを確かなものにしてください。私たちの手のわざを確かなものにしてください」(3-4節、16-17節)。

 最後まで、あなたの人生において、神の最上のみざわが現わされますように。

神の御手の中にある鉛筆

2012年2月16日(木)

 1910年に、旧ユーゴスラビア(現マケドニア)のスコピエで、一人の女の子が誕生しました。名前は、アグネス・ゴンジャ・ボヤージュと言います。1928年、アイルランドのロレット修道会に入ったアグネスさんですが、その1年後に志願してインドに渡り、20年間、カルカッタのセントメリー高等学校の教師、校長を務めます。1948年に、イエス・キリストのある言葉に捕えられて、人生がガラッと変わります。

 「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです」(マタイの福音書25章40節)。

 アグネスさんはこの聖句に動かされて、一人でカルカッタの貧民街でダリート(カスト制度の最下位の人々)に対する福祉活動を開始し、「死を待つ人の家」、「孤児の家」などの施設をインド各地に展開していきました。ヒンズー教徒からの激しい迫害もありましたが、徐々にその働きが世界中の人々に注目されるようになり、ついに1979年に、アグネス・ゴンジャ・ボヤージュさんは、ノーベル平和賞を受賞したのです。勿論、その時、彼女の本名を知る人はほとんどいませんでした。「マザー・テレサ」と呼ばれるようになっていたからですが、どんなに脚光を浴びても、マザー・テレサは決して思い高ぶることはありませんでした。いつも口にしていた言葉は、「私はただ、神の御手の中にある鉛筆です」というものです。

 鉛筆には、二つの主な用途があると言えます。文書を書くことと、絵を描くことです。人は自分の手で鉛筆を握って、様々なストーリーを書きます。また、鉛筆を用いて、素晴らしい絵を描く人もいるでしょう。そのようにして、今まで、数多くの名作が生まれています。しかし、マザー・テレサは、自分の手に鉛筆を握って名作を残そうとは考えませんでした。自分自身が神の御手の中の鉛筆だというのです。つまり、自分の一生を神にささげて、神の御手の中で握られれば、神が驚くべき名作(ストーリー)を生み出してくださる、という信仰があったのです。その信仰は、使徒パウロの次の言葉とも一致しています。

 「ですから、だれでも自分自身を聖めて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです」(テモテへの第2の手紙2章21節)。
 マザー・テレサは、自分が神の御手によって動かされている器であるという認識をもって、とてつもなく大きな働きに挑戦しました。その人生はまさに、神の手による名作であったと言えましょう。
 私たちはマザー・テレサほどの働きはできないかも知れませんが、「私は、神の御手の中にある鉛筆だ」という信仰を持つなら、きっと神のみわざが現れることでしょう。

 一緒に祈りませんか。

 「神様、どうぞ、あなたの鉛筆として、私を御手の中で握り締めてください。私の人生を通して、あなたの栄光を現すストーリーを書いてください。」

レッツ・ロール

2012年2月16日(木)

 7年前にアメリカで起きた、同時多発テロ事件は、全世界の人々に大きな衝撃を与えました。イスラム原理主義者が4機の飛行機を乗っ取り、そのうちの2機はニューヨークの世界貿易ビルに突っ込み、もう1機はワシントンの郊外にあるペンタゴン(国防省)に激突しました。アメリカの国民に大変な衝撃を与える事件でしたが、乗っ取られた4機目の飛行機がどうなったか、ご存知でしょうか。この飛行機は、ホワイト・ハウス、あるいは国会議事堂に突っ込むことになっていました。ところが、35人の乗客の中に、携帯を持っている人が何人かいて、世界貿易ビルが攻撃されたという情報を聞き、テロリストが何を企んでいるかが分かり、抵抗しようと覚悟を決めました。パイロットを殺して、操縦室に閉じこもっていたテロリストに、皆で襲いかかることになったのです。非常に危ない賭けでしたが、どうせ飛行機がホワイト・ハウスとか国会議事堂に突っ込めば生存する可能性もないし、テロリストをやっつければ、自分たちで何とか飛行機を無事に着陸させることができるのではないかというかすかな望みもありました。小型飛行機を操縦した経験のある人がいたからです。結局、操縦室のドアを打ち破り、テロリストを抑えることに成功したものの、うまく飛行機の操縦ができずに飛行機が墜落してしまい、残念ながら、乗客全員が死亡しました。

 しかし、乗客の勇気ある行動がアメリカのシンボルを守っただけでなく、多くの命をも救いました。そして、救われた命の中に、国会議員も含まれています。恐らく、テロリストが第一に狙っていたのは、ホワイト・ハウスか国会議事堂だったのではないかと言われています。また、もし、その陰謀が成功したら、更にアメリカに決定的な打撃を与えただろうとも推測されていますが、いずれにしても、テロリストに立ち向かった35人の乗客は国民の英雄になりました。特に、リーダー的役割を果たしたトッド・ビーマーという人が称えられることになったのですが、彼は31歳で、二人の幼い息子さんがいました。アメリカのマスコミはすぐに、彼の奥さんであるリサさんに、「あなたのご主人はどうして、あんなことができたのですか」と質問をしました。リサさんはご主人と共に、敬虔なクリスチャンでした。彼女は深い悲しみの中にあったのですが、これは2度とない証しのチャンスだと思って、テレビやラジオ、新聞のインタビューに応じました。ちなみに、リサさんはその時、妊娠6ヶ月でした。インタビューの中で、ご主人がキリストによって変えられていつも人のために生きようとしていたこと、やがて天国でご主人に会える希望があること、また、どんな悲劇の中にも神様の目的があるはずだということをしっかりと伝えました。彼女の証しはアメリカの全土に反響を呼び、ブッシュ大統領にも注目され、国会議事堂で行なわれた大統領の演説に招かれることになりました。国会議員の前で話をしている最中に、大統領はわざわざリサさんを立たせて、ご主人の功績を称えました。すると、国会議員は総立ちをして、彼女に盛大な拍手を送りました。後で、リサさんは国会議員の人から、「あなたのご主人は私の命の恩人です」と言われたりもしたのです。その数ヵ月後、リサさんは無事に女の子を出産し、その後、『レッツロール』という本を書いています。「レッツ・ロール」とは、「仕事に取り掛かろう」という意味の俗語で、トッドさんがテロリストに立ち向かう前に発した言葉で、携帯の録音テープに残っていました。『レッツ・ロール』はベスト・セラーになり、更に多くの人々に感銘を与えました。こうして、リサ・ビーマーさんは、ちょっとしたリバイバルを引き起こしましたが、ご主人を亡くされたばかりの妊婦に、どうしてそのようなことを成し遂げることができたのでしょうか。使徒パウロはその秘訣を明かします。

「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです」(2コリント12章9-10節)。

私たちはビーマーご夫妻ほどの大きな仕事はできないかも知れませんが、キリストの力を求めて、目の前のチャレンジに立ち向かっていこうではありませんか。
 
「レッツ・ロール!」

あふれるばかりの恵み

2012年2月16日(木)

 ノルウェーの国王オラフ5世はある朝、宮殿から駅まで歩いていました。すると、道端に座っていた一人のホームレスの男性が、悲痛な声で訴えてきました。

 「王様、助けてください。私は何日も、何も食べていません。」

 オラフ王は彼の顔をじっと見つめて、こう聞きました。

 「本当に何も食べていないのか。」

 「はい、王様、本当です。おなかがぺこぺこで死にそうです。」

 「名前は何というのか?」

 「ヨハンです。」

 すると、王はメモ用紙とペンを取り出して、何かを書いてから、それを男性に渡しました。そこには、「今日の晩ご飯にヨハンを招待する」と書かれていたのです。

 ヨハンは、晩ご飯の時間まで待って、王からいただいた招待状を持って、宮殿に近づきました。宮殿の周りには拳銃を持った兵隊やガードマンがたくさん、立っています。ヨハンが恐る恐る、入り口まで進むと、ガードマンの一人はみすぼらしい彼の姿を見て、怒鳴りつけました。

 「早く帰れ。ここは、お前のような人間の来る所ではない。」

 しかし、ヨハンは勇気をもって、メモを取り出し、ガードマンに見せて言いました。

 「あのう、王様に招待されて来たんですけど。」

 確かに、メモにはオラフ5世のサインがしてあります。それでヨハンは王が食事する所に案内されました。そして、それまで口にしたことのない美味しい食べ物をおなか一杯食べました。

 次の日も、夕食時に、ヨハンが宮殿の入り口に姿を現しました。呆れ返ったガードマンは、「昨日は招待状を持っていたから特別に入れてやったけれども、今日はそういう訳にはいかないぞ」と、怒った口調でヨハンを追い返そうとしました。すると、ヨハンは王からいただいたメモをポケットから出して言います。

 「しかし、見てください。『今日の晩ご飯にヨハンを招待する』って書いてあるでしょう?だから、今日も食べても良いんでしょう?」

 何も返す言葉が見つからなかったガードマンは、仕方なく、王のダイニング・ルームに通しました。結局、ヨハンはその日も、またその次の日も、その次の日も、しばらく王の食卓に着くことができた、ということです。

 父なる神が罪人に注いでくださる恵みをよく現している話ではないかと思います。聖書で言う「恵み」とは、受ける資格のない者に一方的に与えられる神のご好意のことです。神に罪を犯した私たちは、本来、神の裁きを受けても当然な者でしたが、キリストの十字架のゆえに、神のあふれるばかりの恵みに預かることができるのです。

 「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか」(ヘブル四・一六)。 これこそ、私たちが王から与えられた招待状なのです。私たちは、いつでも、「主よ、助けてください。恵みをください」と求めることができます。「今日も来たのか」と呆れられることは決してありません。
 今日、神の豊かな恵みを求めましたか。