真理のみことば伝道協会

カルト宗教被害者の皆様の問題解決のお手伝いをさせて頂いております。

カルト関連ニュース

 ユタ州に住む五十二歳の男性で、重婚罪に問われていた「保守派のモルモン教徒」が、五月十九日に、有罪判決を言い渡されました。男は、五人の妻と、二十九人の子供たちを持っていますが、裁判が行われていた期間中、アメリカのテレビのニュース番組などに出演し、「私はモルモン教の創立者ジョセフ・スミスやその後継者ブリガム・ヤングの教えを忠実に守っているだけです」と、自分の正しさを主張しました。そのことで、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)は、大いに迷惑しているようです。モルモン教徒である裁判長も、「あなたはモルモン教の伝統に背いている」と、男から厳しい批判を浴びてしまいました。一夫多妻は、一八四〇年から一八九〇年頃まで、モルモン教の教理において、重要な部分を占めていました。しかし、一八九〇年に、アメリカ合衆国に加わるための手続きを進めていたユタ地方は、州として認められる条件として、一夫多妻を禁じる法律をつくりました。また、「今は一夫多妻を実行する時ではない」という、「神からの新しい光」も発表され、それ以来、大多数の教会員はそれに従っていますが、「保守派」と呼ばれる信者で、未だにジョセフ・スミスの教えを忠実に守っている一夫多妻者が、三万人もいると言われており、そのほとんどはユタ州に住んでいます。

無輸血手術はNO!

2012年2月16日(木)

 愛知県医師会が、エホバの証人からの愛知県全域に及ぶ全部の総合病院での、無輸血手術の合意書に、医師会側として認可できないとして却下したそうです。

 ラエリアン・ムーブメントという宗教団体は、昨年九月に、「医療ミスで生後十カ月の赤ん坊を亡くした米国人夫婦のためにクローン人間を作る」と宣言しました。冷凍保存したこの赤ん坊の血液細胞から核を取り出し、代理母の卵子に移植し、子宮に戻してクローンを育てるといいます。ラエル教祖は、「不妊に苦しむ夫婦や同性愛カップルから、クローンという選択肢は奪えない」と、人間の複製を正当化しようとしていますが、両親の米国人夫婦から、約二億円の提供が約束されていることが関係しているようです。また、「自分や子供のクローンを作って」という依頼が数千件来ているということですから、儲けの大きいビジネスと見込んでいるのではないかと思われます。

 2000年12月31日に、40年の信仰暦を持つ、一人のエホバの証人の主催監督(アメリカ人)が、ブルックリン本部に対して、辞任状を提出しました。辞任の理由は、ものみの塔聖書冊子協会が、児童性的虐待者の保護地帯になっている、ということです。元主催監督の話によると、組織の上から下に至るまで、児童に対する性的虐待がはびこっており、その問題が発生していない会衆は一つもないそうです。更に、彼は、エホバの証人の子供の三人のうちの一人が、一度は性的虐待を受ける、と推定しています。このような事態が容認されるのは、組織の方針に原因があるようです。会衆内に、長老から性的虐待を受けた子供が長老を告発しても、長老本人が罪を否定した場合、あるいは、二人か三人の証人がいなかったり、証拠がなかったりした場合、審理措置が講じられず、長老は「潔白な人」と見なされることになっています。
 「告発されても、もし当人がそのような事実はないと言うなら、長老たちは告発した人に、審理措置は何も講じられないことを説明すべきです。そして会衆は告発された人を引き続き潔白な人とみなすでしょう。聖書によれば、審理措置は、二人または三人の証人がいなければ取ることはできません。(コリント第二、十三・一。テモテ第一、五・十九)たとえ二人以上の人が、同じ人からの虐待を受けた『覚えがある』としても、そうした回想は至って当てにならない性質のものであるため、裏づけとなる他の証拠がない限り、審理上の決定を下す根拠にはなりません。これは、その種の『記憶』が事実無根とみなされる(もしくは事実と見なされる)という意味ではありません。しかし、審理によってある問題を明らかにするに当たっては、聖書の原則に従わなければなりません」(『ものみの塔』誌、1995年11月1日号、28~29頁)。
 ものみの塔の方針によれば、長老に対する審理措置を取るために、「二人または三人の証人」や、「裏づけとなる他の証拠」が必要ですが、当然のことながら、児童虐待者は、人のいないところを狙って、子供に手を出します。ですから、「証人」や「証拠」がないのは、当たり前のことです。また、告発された長老が、罪を否定しさえすれば、「潔白な人」と見なされる訳ですから、当然、「私はやっていません」と言うに決まっています。こうして、ものみの塔協会は、児童性的虐待を容認しています。元主催監督の言葉を借りると、「児童虐待者のパラダイス」になっているのです。

 二十一世紀を迎えた今、ものみの塔聖書冊子協会の二十世紀に関する「預言」が注目されています。組織は、次のように述べていました。
 「間もなく、二十世紀のうちに、エルサレムの現代的象徴であるキリスト教界に対して、『エホバの大いなる日の戦い』が始まるでしょう」(『国民は私がエホバであることを知るであろう---どのように?』、1971年発行、216頁、英文)。
 「世界のすう勢や聖書預言の成就から見て、この世界の邪悪な体制が世紀の変わり目まで続く可能性は非常に少ないように思われますが、たとえそれまで続いたとしても、第一次世界大戦の世代は依然として残っていることでしょう。しかし、その数が減少していることは、『事物の体制の終結』が急速にその終わりに向かっていることを示すもう一つの兆候です」(『ものみの塔』誌、1981年1月15日号、31頁)。
 「そのしるしが成就しはじめた年である一九一四年の『世代』は『これらのすべての事が起こるまで、決して過ぎ去らない』ともイエスに言われました。(マタイ二四・三四)その『世代』の人々の中には、今世紀の終わりまで生き残る人が幾らかいることでしょう。しかし、多くの兆候は、『終わり』がそれよりもずっと間近に迫っていることを示しています」(『ものみの塔』誌、1984年6月1日号、18~19頁)。
 「フランスに住むキャロルは『すばらしい希望を』抱いていて、近い将来に、『わたしたちが住んでいる世界とは全く違う、すばらしい世界が来る』と見ています。同じ国の十五歳の若者サミュエルも完全な変化が訪れることを信じています。『西暦二〇〇〇年には世界が美しい楽園に変わっているところを思い浮かべることができます。でも、今の世界も、今の世界の支配者たちも、生きてその日を見ることはないと思います。・・・・・・私たちは事物の体制の終わりの時に住んでいます』」(『目ざめよ!』誌、1986年11月8日号、7~8頁)。(注:この言葉は、一人のエホバの証人の若者の言葉として引用されていますが、組織の方針に合わない言葉であるなら、読者に紹介されるはずなどありません。)
 「使徒パウロは、キリスト教宣教者の活動の先鋒となりました。そして同時に、この二〇世紀に完了するであろう業の基礎を据えていたのです」(『ものみの塔』誌、1989年1月1日号、12頁)。(注:製本された『一九八九年ものみの塔』[英文]には、この言葉は次のように訂正されています。「そして同時に、私たちの時代に完了するであろう業の基礎を据えていたのです。」言うまでもなく、訂正されたことを示す注意書きなど、ありません。なお、どういう訳か、製本された日本語版の雑誌は、訂正されていません。)
 このように、ものみの塔協会の歴史が長くなればなるほど、その偽預言のリストもまた、長くなる一方です。旧約聖書の時代、語ることが実現しなかった「預言者」に対する罰は、死刑でした。
 「ただし、わたしが告げよと命じていないことを、不遜にもわたしの名によって告げたり、あるいは、ほかの神々の名によって告げたりする預言者があるなら、その預言者は死ななければならない。あなたが心の中で、『私たちは、主が言われたのでないことばを、どうして見分けることができようか。』と言うような場合は、預言者が主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは主が語られたことばではない。その預言者が不遜にもそれを語ったのである。彼を恐れてはならない」(申命記18章20~22節)。
 偽預言者の上に、このような厳しい罰が下ることになっていたのは、その人が周りの人間の生活に与える影響が、非常に大きいからです。人々は、「預言者」の言葉を信じるだけでなく、その言葉に自分の生活を合わせます。例えば、ものみの塔の一九七五年の預言の時のように、大学に行ったり、就職したり、家庭を持ったりする夢を捨てる若者が出て来ます。家や財産を売る人もいます。ですから、偽預言(語ったことが起こらない)という罪は、神の前では、とても重いのです。
 聖書に付き従うクリスチャンは、罪を犯した時に、その罪を悔い改めます。悔い改めとは、まず、正直に罪を告白することです。偽預言者の場合、「私は偽預言者です」ということを、公に言い表すことが必要になります。しかし、悔い改めはそれだけで終わる訳ではありません。更に、悔い改めとは、罪をきっぱりとやめることです。ですから、語ったことが実現しない人がいた場合、「私は二度と預言しない」という固い決意が求められる訳です。
 心から悔い改める者に対して、聖書は神の赦しや聖めと共に、罪に勝利する力を約束しています(使徒2・38)。しかし、また、心を頑なにして、悔い改めようとしない者には、救いの道が閉ざされることを警告しているのです(ヘブル3・7~11)。
 ものみの塔聖書冊子協会は百年間、偽預言の罪を繰り返して来ましたが、一度も、悔い改めていません。公に「私たちは偽預言者です」と告白したこともなければ、「偽預言の罪を憎み、その罪を捨てます。私たちはもはや預言したりしません」と発表したこともありません。だからこそ、何度も、同じ過ちを繰り返し、組織のメンバーに多大な被害を与えて来たのです。その罪は、決して小さくはないのです。